散り際

桜の季節も終わる。

昨年の今頃、彼の部屋に向かう電車の窓から終わりかけの桜を見ながら、一緒にお花見が出来なかったなと思った。

まるでもう二度と彼とは出来ないかのように思って、来年だって桜は咲くのに、どうしてそんな事を思ったのだろう、来年は一緒に見たら良いよと思い直した。

 

あの時の漠然とした寂しさは、こういう事だったのかという今年の春だった。

 

ウクライナの戦禍を知ると、理不尽な死と残された人の哀しみを思う。

大事な人を失くす前は、残される人の哀しみがよくは解っていなかった。

今あの禍々しい戦禍とそこで残された人々の姿を映像で見ながら、その喪失感が実感として解る。

平和な場所で受けた死の哀しみと、理不尽な侵略戦争で受けた死の哀しみを一緒にしては申し訳ない気持ちもあるけれど、大事な人を失くす哀しみはどちらも同じのように思う。

 

今もずっとこの世界には空白がある。彼一人分の。

 

 

四月からの仕事をやっと決めて、働き始めた。

Covid-19の感染者がまた増えてきたので、始まったばかりの仕事も在宅勤務が多くなりそうだ。

初日から、絶対合わないタイプの同僚に早速目を付けられて、変に突っかかられてる。

あのタイプには何故いつも嫌われるのかと思うが、もう近寄らない事しかない。

有り難い事に、テレワークのシフトが彼女とかぶらないので、何とかなりそう。

 

最近また、救急車を見かける事が多くなった。

あんなに咲き誇っていた桜も終わる。

 

特に好きでもなかったはずの、あいみょんを最近は聴いたりする。

なんだろう、いいね。あいみょん