新緑の季節

記事のタイトルは、いつものようにあまり意味はない。あえて。

 

大創産業の旗艦店が、銀座に出来た。

行かねば。

という気持ちが出てくるのは、良い事のような気がする。

 

 

そして、ちょっと重い話。

この話は、やっぱり書いておこうと思う。

 

幡ヶ谷のバス停で、女性を撲殺した犯人は、保釈中に転落死した。

この犯人がきちんと裁判を経て刑が確定したところで、傷害致死で数年で出てくる事になっただろう。

本人の生活状況を見れば、何らかの発達障害があるようにも思えたので、執行猶予がつくことにもなったかも知れない。

それでは、亡くなった女性は無念であろうと思った。

 

でも、犯人は裁判も受けず、保釈中に自死したのだ。

 

この犯人も、きっと子供の頃から変わった子で、社会とうまく関われなかったのだと思う。

私自身がそういう傾向の子供で、高校を卒業する頃にでも、近所の人に挨拶も出来ない子だった。

だから、この犯人のことが全く理解できないわけではない。

でもこの犯人だって、どこかでもう少し社会性を身につけられるきっかけはあっただろうと思う。

こういう人を見るにつけ、親が護りすぎたんだろうと思ってしまう。

母親にとっては可愛い息子だ。古くからの資産家で、この子一人を養い続けることなどどうとでも出来たのだろう。

それが結局は、この犯人の人生を狭い世界に閉じ込めてしまったのだ。

 

3月に、犯人の母親が経営している店の前を通りかかった。

その時店のシャッターが開いていて、店の中には中年の男性がいた。

通りすがっただけなので、それが犯人の男だったかはわからない。

その時には、犯人が保釈されていることなど知らなかったので、当然本人ではないだろうと思って通り過ぎた。

 

犯人にも同情の余地はあるとは思うが、私は亡くなったこの犯人に同情はしたくない。

自死を選ばなければならなかったのも、それはこの男の弱さでしかない。

ちゃんと裁かれて、刑に服すことすらしなかった。

そんな事は許されてはならない。

 

殺された女性の亡くなった日は、私の大事な人が亡くなった日のちょうど一年前だった。

それを最近になって気がついた。

 

ずっと気になっていた事件だったけれど、たぶん自分が生きている間、彼女の命日は忘れない。

彼女にとってどこの誰かもわからない私が、ずっと忘れないで覚えておく。