如月の終わり

先週は、本当に何もしなかった。

仕事も一切探さなかった。

気がついたら今日で2月も終わり。

そうでした。

2月は28日しかないのでした。

 

今日も出かけずに終わりそうだ。

天気が良いというのに。

 

もともと空を見るのが好きだけれど、親しい人が居なくなってからは、外を歩きながらよく空を見る。

なんだか死んだ人は、空にいるような気がするのだ。

千の風になってという詩のように、風にのって空にいるような気がするのだ。

だから晴れた日は外に出ようと思うのだが、今日も気がつくと夕方になっている。

そろそろちゃんと日付の変わる前に寝て、明るくなる頃起きるようにしたいものだ。

このところ、寝る時間が午前三時くらいになってしまう。

 

4月からの仕事を探そうと思うのだけれど、やりたい仕事はあるが、たぶん出来る仕事なんだけど受かりそうにない。

事務派遣といえども、業種の内容的に理系の大卒が多そうなので、おそらくそういう人しか取らなそう。

でも常に募集が出ているから、決まらないか辞めちゃうか、なのかも知れない。

 

この間、仕事のできる不動産営業の人のtwitterを見ていて、彼もこんな仕事向いてたのになぁと思った。

自分でも「俺は人たらしだから」というくらい人好きのする人だったので、人相手の仕事は向いていたと思う。

彼の仕事も営業だったけれど、あの性格なら不動産でも良い仕事が出来た気がする。

そうしたら、また違った未来だったかも知れないのに。

 

彼のやってきた事が、死んでしまうと何も残らないのだと思うと、寂しい気持ちになる。

芸術家や研究者や作家でもなければ、ほとんどの人は死ねば何も残せないのだけれど。

彼は何も言いたがらなかったから、経緯を詳しくは教えてくれなかったけれど、もっと話を聴いておけば良かった。

たとえ居なくなったあとでも、彼の事をどこかに書いて残して置きたかった。

彼の居なくなったあの部屋の、身内がすべてゴミ袋に入れてしまった書類の中に、もっと何か彼の想いが残っていたのではないかと、今更あのすべてを運んで来なかった事を後悔している。

捨てることなんていつでも出来たのに。

 

もう全然平気だと思う日もあれば、後悔ばかりする日もあるし、私は利用されただけだと怒ってばかりいる日もある。

出会った事も忘れてしまいたいと思う日もあるし、顔もだんだんはっきり思い出せないと哀しくなる日もある。

 

今年に入って本を1冊も読んでいない。

彼が亡くなった週の週末に、近くの閉館する図書館がリサイクル本を大量に放出した。

私はメソメソしながら、その閉館する図書館から本をたくさん貰ってきた。

大事な人が亡くなったばかりなのに、何やってんだと思いながら、それでもいつもの自分なら絶対行くからと思った。

その時貰って来た本を、まだ1冊しか読んでいない。

もう2月も終わるのに。