数日前まで、すっかり忘れていたね。
昨夜は残業後10時過ぎに帰宅して、面倒だから夕食はカップ焼きそばを食べて、夜のニュース番組を観ながら寝落ちして、そのまま4時すぎまでこたつの中で、寝たり起きたりしてからやっと布団に入って寝たのだ。
お陰で今朝もいつもの時間のアラームを止めてから、そのまま1時間毎に目を覚ますのに結局起き上がれず、ちゃんと起きたのは昼の12時半頃。
そして市販のパスタソースを絡めただけのパスタとトマトの昼食のあと、また今までだらだらしていた。
正直この祝日がなければ、こんなに残業する必要もなかったのだ。
休日出勤するわけにもいかない立場だし。
数日前にチューリップを買ったので、仕舞い込んでいた少し丈の高い花瓶を出した。
もう25年くらい前に働いていた会社で、お茶くみとかが廃止になって、部署の茶器や花瓶やらを全部処分することになった。
要らないから持って帰って良いよと言うのでもらってきた。
ロイヤルブライアリーの花瓶。
花瓶の中に大きな傷があるので、いつか磨いてみようと思っていたがそのまま。
去年だったか、222というディスカウント店で格安で酸化セリウムの粉末を買ってあるので、そのうち磨いてみようと思う。
222は都内から撤退してしまったのが残念。
死別から1年3箇月が過ぎて、想いの外立ち直ったなと思う。
忙しくしたからね、なるべく。
そして泣きながら読んでいた他所の死別の方のブログにも、だんだん共感しなくなってきた。
何年も付き合った相手や旦那さんや奥さんだから、私の死別とは全く哀しみの深さも違うだろうなとは思う。
でもなんだか哀しいのそこなのか、とか思う事もあったりする。
私はずっと独りで生きてきたので、何でも自分でやらなければならなかった。
だけどずっと旦那さんがやってくれていた雑事を自分がやらなければならない時、哀しく辛くなるみたいに書いてあると、なんだかそれはと思う。
そこはもう死別して数年経つんだから、今は私がやってるよ、頑張ってるよ、くらいな気持ちになれば良いのにと思ってしまう。
彼とは仕事絡みで出会ったから、今こんな仕事で大変だよ、という話が出来ないのがいつもつまらんなぁと思う。
でも、今こんなのやってるよ。あの職場にいるよ。と時々空を見ながら報告したりする。
彼も出入りしてた事のある場所なので、時々1階のロビーのソファで彼の面影を探したりする。
でも、私の生活は彼の居なくなった後も基本変わらない。
私は私の生活をしている。無くなったのは休日に彼の部屋へ行くことくらいだ。
そんなん書いてたら、もう陽が暮れてしまった。