飛行機雲

轟音が通り過ぎる音で窓を開けたけれど、ブルーインパルスは見られなかった。

パラリンピック展示飛行の予行飛行をするだろうとは思っていたのだけれど、今回は情報収集を忘れていた。

五輪の時の飛行コースとは違っていたので、うちの辺りはどちらにしても見られなかったのかも。音は近かったので少し高いところなら小さく見えたかな。

24日は職場にいるだろうから、あの辺りは確実に飛行コースなので、飛行時間ちゃんと調べておこう。

大体にしてこの辺りは羽田に向かう海外便がかなりの頻度で飛んでいるので、飛行機の音はしょっちゅう聞こえてくる。

なのでちょっと油断していた。

 

東京は相変わらずの感染者数。

もはや潜在的な感染者はたくさん居そう。

自分でも感染しているのでは、というような気持ちにもなる。

熱はもともと上がらない方なのだけれど、ワクチン接種以降微熱が続いている。

微熱といっても、普通の人の平熱くらいだけど。

 

最近自宅待機中に亡くなるという事例も出てきたので、自分もいつそうなるかわからないなと思い始めた。

そういう事も踏まえて、部屋をそろそろちゃんと片付けないとな。

そして急激に悪くなるということだから、何かあった時のために遺書のようなものを書いておくべきかと思い始めた。

 

若い頃、東京に出る事になって、もう十分持ち過ぎていると感じた荷物を大方整理した。

今では少し勿体なかったなと思うものもあった。

その頃私は、自分が死んだ時に残してある物をどうしたいか、遺書のような物を書いた。

あの本はあの人に、あのレコードはあの人にと。

何とも今から思えば貰った方も困ったかもしれない。

今はあの頃とは比べ物にならない程沢山の物を持ってしまったが、誰にも何も残したいと思わない。

せめて絶版の本とかは、古本として売って誰かの元で残って欲しいと思うくらいだ。

 

covid−19じゃなくたって、人はいつ死ぬかわからない。

大事に仕舞い込んでいたものとか、もう本当に使わないと。

一人暮らしでは、ついつい山パンでもらったお皿とかをメインに使ってしまう。

きれいな食器は大事にしまっていたりするのだ。

でも今使わないと、使う前に死んじゃうかもしれない。

 

誰に書く宛もなく、ついつい買いためていた綺麗な便箋で、近々遺書でも書こう。

遺品整理をせねばならないであろう、姉弟に宛てて。