四月の空の色

昨日の朝起きたら、五月の風の匂いがした。

 

それは単に、私の記憶の中から呼び起こされたものだろう。

北の国の東の果てあたりは、東京とちょうどひと月季節が遅れている。

 

初めて東京に来たのは、ちょうど四月の初めだった。

東京の空気は五月の空気だった。

田舎者のわたしは、なんだか感動したし、それと同時にその年の四月を失った気がした。

 

 

数年前に数十年ぶりに実家に帰った。

私が若い頃置いて出た洋服はほとんど処分されていたが、なぜだか30年以上も前にクリーニングに出したビニールのまま、春のコートだけが処分されずに残っていた。

なぜこれだけと思ったが、自分でしまい込んだのかもしれない。

それを東京に持って帰ってきたが、二十歳かそこらで買ったコートをもう着ることもないなぁと思った。

昨日洋服の入れ替えで、そのコートを出してみたら、なんだか着れるかもしれないと思った。

当時はわりと余裕のある作りの服が多かったので、今のように太った自分でも着られるし。

ついでに同じ頃買って、20代前半に随分ヘビロテで着ていたカーキ色のジャケットも数十年ぶりに出してみたら、これも着れそうだ。

 

1年着なかったら捨てましょうという断捨離の人達には怒られそうだけれど、こういう事もある。

まぁ若い頃からオバさんが買うような店で洋服買ってたので、今の歳でも違和感がないのかもしれない。

 

あの二十歳の時に、40年近くがこんな風に過ぎていくなんて思ってなかったな。

人生なんて本当に短いな。

 

今日はふと、幡ヶ谷で亡くなった彼女の事を考えた。

彼女はバス停のベンチで亡くなった時に、あーこれで困難な人生を終わりに出来ると安堵しただろうか。

それとも、えーまだこれからもう一度人生巻き返すつもりだったのに!と思っただろうか。