人嫌い

今日は割と暖か。

朝から隣に植木屋が来ているので、ちょっと騒がしい。

 

covid−19は、いよいよ冬の活性時期に入ったようだ。

もうねー、仕方ないよね。

罹らないようになるべく人に会わない事だろうな。

人嫌いの自分には特に支障はない。

 

自他共認める根に持つタイプなので、過去に意地悪してきた人の事はいつまでも根に持っている。

あわよくば不幸になってしまえと思い、その人の動向を探ってしまう。

他人に意地悪するような人は自己愛が強い。

そして自己顕示欲も強いので、ほぼ間違いなくSNSで個人情報をバラまいている。

そういう人はSNS素人のBBAでも見つけられる程、警戒のないSNSをやっている。

 

以前一緒に働いていた40代の自称ダンサーの子がいた。

その子が居る部署に異動になった途端に、いきなり意地悪が始まった。

その子は休みがちで仕事も出来なかった上にプライドが高いので、後から入った私の方が仕事が出来る事が我慢ならなかったのか、2ヶ月程で辞めていった。

その子の事を未だに根に持っているわたしは、ずっとSNSを観察している。

 

最近デキ婚したようで、東京を引き払って地元に帰ったようだ。

旦那も地元の人なのか、毎日お弁当作ってますなどとSNSで幸せそうだ。

正直事務仕事には向かない子だったし、ダンサーとしても全く大した事がなさそうだったので、地元に引きこもってくれて嬉しい限りだ。

40代なかばにして妊娠して、今後納税してBBAの生活を支えてくれる子供を生むのはいいことだ。

私は2歳までの子供は大好きなので、あの子がどんなに嫌な子でも子供を生むなら良いんじゃないのと思う。

 

そうは思うけれど、根にもつ私は時々悪いことも考える。

子供が無事生まれても、その年からの子育ては大変ですよ。

しかも今まで芸能みたいな仕事をしていたのに、ここからは子供中心ですよ。

親元で親が面倒見てくれるかもしれないけど、今までのようにはいかないですよ。

職場でマウントに失敗して仕事辞めたような子が、これから地元の若いママさん達とうまくやれるかな?

などと悪い感情が湧いてくる。

 

ちょっとちゃんとした大人にならなくては、などと思っていたけどなかなかいつまでも子供のままだな、私も。

晴天

天気が良いのに、ほとんど出かけていない。

昨日はゴミ出しに朝出ただけ。

今日はさすがに出掛けようと思う。

失業しているので、求職用に証明写真も撮らないとならないし。

 

ずっと片付けをしなければと思っていたのだけれど、引っ越ししてからほぼ2年、荷物のほとんどがダンボールに入ったまま暮らしていた。

一昨年の11月末に越して来たので、暖かくなる春になったら片付けようなどと思っていたのだけれど、今まで手つかずだった。

 

ずっと独りが気楽で好きだったのだけど、20代の後半に本当にくだらない男と付き合って、延々腐れ縁が続き鬱っぽくなったりするうちに、なんだか自分が無くなってしまった。

腐れ縁の男とは20年もゴタゴタしてやっと切れたけれど、その後も別のくだらない男と関わって更に本格的に鬱状態になった。

結局病院にも行かなかったので診断はされていないけれど、今となってはあれは鬱だったなと思う。

それを経たあと、なんだか本当に他人とうまく関われなくなった。

そして依存ではないのだけれど、変に他人に振り回されるようになった。

 

昨年の春頃、会社の若い女の子に一緒にごはんとか行きましょうと誘われるようになって、ちょっと嬉しかった。

2年目の新人で可愛くて仕事の出来る子だった。

私は派遣社員だったけれど、彼女が少し気分にムラのある50代の職員に厳しくされている時も、さり気なく庇ったりしてかわいがっていた。

もちろん派遣社員は立場が下なので、弁えた上でだ。

そんな子に仲良くしてもらえて嬉しかったのだけれど、その子の事ばかり考えるようになってしまった。

そして自分の部屋の片付けすらおろそかになってしまった。

 

職場から離れた今、やっと彼女の呪縛から離れられて、本来の自分のやるべきことが出来るようになった。

 

なぜあんなに彼女に捕らわれていたのだろうと思う。

彼女だけではない、過去には自分に嫌がらせした人の事ばかり考えていた時期もあった。

なんで自分ではない、しかも何の得にもならない事にずっと気を取られていたのだろう。

これも鬱の一つなのかもしれない。

 

彼女とも物理的にも精神的にも離れて、やっとすっきりした感はある。

そして先週末からやっと片付けを始めた。

とりあえず分類して仲間集めをして、取捨選択して収納。

目処が付いてきたので、今後は収納を買ってしっかり見えるようにする予定。

本もすべて箱に入ったままだったので、ずっと敬遠していた大きな本棚を買って全部見えるようにならべようと思う。

前の部屋は湿気が多かったので、多くの本にカビが生えてしまった。

それをそのままにずっと今の部屋でも箱のまま積んでいたので、更にカビてしまった感じだ。

食器棚も古くて使い勝手が悪いので、そろそろ買い直そうかと思う。

使っていないグラスだけでも随分あるので、季節とか気分に合わせて入れ替えて使おうと思う。

やってみたら簡単な事に2年もかかってしまった。

なんだったのかなぁ。

 

ここからは本当に独りで行きていこう。

他人に惑わされるのはもう終わり。

 

待受は満月

スマホの待受は満月。

 

最近どうにも、他人と関われなくなった。

他人どころか、血縁者ともほぼ関わってないが。

 

もはやスーパーのレジの人とかショップの店員とか、そういう人と関わることすら嫌になってきた。

病気というより性質なんだろう。

生まれながらの。

独りでは生きていけないというが、出来うる限り誰とも関わらないのがお互いの為だとおもう。

 

自宅にパソコンを買って、インターネットを徘徊するようになってからほぼ20年近く経つ。

正確には18年半というところだけど。

ネット始めた頃はネットを徘徊し、簡単なホームページを作ったりし、ネット内で友達を作ったりもした。

掲示板にのどかに書き込んだり、いろんな人たちがネット上に墓標を残していなくなるのをみたり、現実に友達がいなくても、ネットの中だけで十分寂しくなかった。

ネットの中のそういう時代は、自分の中ではもう終わってしまった。

 

今ネットのなかで自己表現したり、コミュニケーションを取ったりしている若い人達は、もっと恐らく現実的なんだろう。

ランキングサイトに登録して上位に入れば書籍化の依頼が来て、もはや軽くライター的な感じで書いている人が多い気がする。

 

私がネットにどっぷりしていた頃の、あの混沌としていた時代は私には居心地が良かった。

そしてネットの中で普段は使わないネットスラングを使い、どこか若返った気分になった。

それは現実でも自分を悪い意味で若返らせた。

おばさんという年代になって、すっかり幼児化してしまった。

 

今また無職になって、そろそろその幼児化した自分も本来の年齢に戻せそうな気がしてきた。

本来の年齢で本来の自分。

人嫌いな本来の自分。

 

私は汚い言葉を使う人が嫌いだった。

子供でも大人でも。

子供の頃は子供独特の汚い言葉をみんな使ったが、私はそれすら嫌いだった。

ずっと使った事が無くて、ある日つられて使ってしまったら、自分はもう毒されてしまったような気がしたものだ。

それが、ネットの中ではすっかり汚れた子供になっていた。

 

今は現実ですら平気で、嫌な人間に死ねと思ったりする。

さすがに、やばいおばさんだと思われていると思う。

それもそろそろ卒業できそう。

長かったなぁ。長い大人の反抗期だったか。

万聖節の前の晩

ハロウィーンの夜

 

今年は、渋谷もおとなしいようだ。

かぼちゃで何かお菓子をとか思ったけど、結局かぼちゃサラダを作っただけ。

 

こういう外国から来た言葉は、時代に依って発音が変わる。

私が若い頃は、カルティエのことはカルチェと言った。

今言うとなんですか?って言われそう。

 

Halloweenは小学生の頃からイギリスのファンタジーばかり読んでた私は、ハロウィーンと言うと思っていたが、数年前にHalloweenが一般的になった頃はハロウィンと呼ばれていた。

5、6年前だったか、ハロウィーンと言ったら「ハロウィンでしょ」と年下の子に訂正された事があった。

そうですか、今の日本ではハロウィンと言わねばならないのですね、と思ってやっと直したら、最近は「ハロウィーン」に統一したらしい。

もうなんか、もやもやするわ。

本来の発音に寄せたって事なんだろうと思うけど、今まで苦労して直したのに元の発音で良かったんじゃんって感じだ。

おかげで今は、どっちだっけと混乱するわ。

 

ハロウィーンの季節になると、ブラッドベリを思う。

ブラッドベリを読んでいた北の国の、10月の空気の匂いを想い出す。

年を取った所為か、あの秋の中に戻りたいと思う。

東京にはあの秋の匂いはしない。

 

 

 

 

 

 

更新


もうすぐ賃借している部屋の更新。

更新料ってなんでしょうか。

こんなボロアパートでも、更新料取るんですね。

ひと月分も。

なんかもやっとするけど、家賃が破格に安いから我慢するか。

この安さって、本当は事故物件なんじゃないの?と思うほどなんだけど。

まぁ古いからなぁ。

築40年超えの物件。

リフォームもろくにしていないし、なんかねー。

これで更新料ひと月分かぁ。

不動産屋に言うだけ言ってみようかと思ったり、なんだかねー。

 

いろいろもやもやすること続きなのだけど、損する分何か戻ってきたりするのだろうか。

昨日は、ひとり暮らし始めた頃に買ったお茶碗を割ってしまった。

当時は100均のお店というのはほとんど無くて、スーパーの催事とかで100円均一のお店が出店していた。

そこで買ったお茶碗。2個買ってひとつは随分前に割ってしまったのだけど、もうひとつ残ったお茶碗は使っていなかった。

最近になって出してみたのだけれど、何回も使わないうちに割れてしまった。

洗っている時に泡ですべったのもあって、他の食器とぶつかってお茶碗の方が弱かったらしく割れてしまった。

ひとり暮らし始めた時に揃えた安いものは、若い頃は安いんだからと少しでも欠けたらすぐ捨てていたので、残ったのはこれだけだった。

百均で今でも、同じ柄のお茶碗を見たことがあるのだけど、今のお茶碗とは形が違う。

今のはやりの形は丸くぼってりしているけれど、割れたものはもっと円錐に近くて容量も少ない。

今は見ない形だし、ちょっと若い頃の思い出に取って置きたかったな。

割れたと言っても欠けて大きなヒビが入ったのだけど、まぁ壊れたものは潔く捨てよう。

金継ぎするほどの思い入れはないしね。

 

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ザネリ

最近、米津玄師ばかり聴いている。

新しいアルバムの最初の曲は『カムパネルラ』。

カムパネルラとは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる少年の名前だ。

宮澤賢治は私が初めて好きになった作家だ。

 

カムパネルラは『銀河鉄道の夜』の中で、川に落ちたクラスメイトのザネリを助けて命を落とす。

米津の曲は、生き残ったザネリの側から書いたものらしい。

お調子者のやんちゃなザネリの代わりに、優等生のカムパネルラが死ぬ。

そうね、ザネリの立場なんて考えてみた事がなかったかも。

主人公のジョバンニを、心無い言葉で囃し立てたりする、クラスにはひとりは居そうなやんちゃな子がザネリだ。

銀河鉄道の夜のカムパネルラとジョバンニに、小学生の私は貧乏な自分と割と裕福な家の子だった仲良しの友達を重ね合わせていた。

あの物語を読むと、今でもあの子を想い出す。

その時、ザネリはただの意地悪な同級生でしかなかった。

ザネリはずっと誰かの陰口を受けながら、生きていかなければならなかったかも知れない。

米津くんのカムパネルラの、最後の歌詞は「君を憶えていたい カムパネルラ」。

 

宮澤賢治は生前全く評価されなかった。

それがこの21世紀にも、誰かに影響を与え続けている。

来年コロナが収束していたら、賢治祭に行きたいなぁ。

フォボスとダイモス

火星の月は2つ。

 

最近、ぬいぐるみと寝ている。

別に抱いて寝たりはしてないのだけれど、布団に入れて並べて寝ている。

するとだな、どういうわけか今までより安眠出来ている。

そんな事あるのかと、自分でも不思議なんだけど。

まだ付き合っている人が居た頃でも、一緒に寝ていても全く安眠出来なかった。

どこかに安心して眠れる人は居るのだろうかと思っていた。

まさかのぬいぐるみとは。

 

このぬいぐるみ、汚れたので洗ってみたらすっかり違う仔になった。

もっとしとやかな感じの大人っぽいぬいぐるみで、毛も本当にふわっふわだった。

それが、洗ったら毛並みはふわふわよりはふさふさな感じで、柔らかかった毛はごわっとして、優しく垂れていた耳は元気に立ち上がってしまった。

手足も元気に開いて、楚々としてなで肩だった体型も子供っぽい体型になった。

洗って絞る時に綿が動いてしまい、体型も変わってしまったようだ。

 

まぁこれはこれで良いけど、なんか知ってる仔がすっかり違う仔になってしまったようで面食らう。

洗う前に写真に撮っておけば良かったな。

あの仔の面影。

 

仕事せずにひと月以上過ぎたけど、全然仕事決まる気配がない。

コロナで、失業者が溢れているのだから仕方が無いか。

毎日ほとんど出かけていない。

歩いていける範囲のところに時々買い物に出るのと、ゴミを出す時しか外に出ない。

 

世の中の人はどれほどの人付き合いをしているのかわからないが、なんかもう人と関わるのは懲り懲りだと最近頓に思う。

関わらなければ傷も付かない。

寂しいよりは傷つかない方が、楽な気がしてきた。

 

これからどこかのカフェにでも行こうかと思ったりしていたが、もはや家でカフェ気分になれる位に、部屋を片付けるのが先決かもしれない。

もう店員とか周りの客とかすら、なんとなく苦痛。

昼間の住宅街から聞こえてくる、近所の人々の会話も苦痛。

本当に人嫌いだな、わたしは。