神無月

気がつけば十月。

今年も、もう3ヶ月しか残っていない。

若い頃の一年は、ずいぶんと長く感じたのに。

 

疫病が流行し始めてからは、季節を感じる行事が無くなってしまったのもあって、季節感がないまま時間が過ぎてゆく。

今月から緊急事態宣言は解除になったので、今更ながら何かの行事が行われたりしないだろうか。

ここ二年、大きな打ち上げ華火を見ていない。

どこかでやらないかな。

 

日曜日の午後にはついつい観てしまう、「ザ・ノンフィクション」。

今日は、発達障害の息子と母の話だった。

発達障害って、一様に言えない障害だと思う。

 

私自身子供の頃は、家族以外の大人とは一切話せなかった。

今だったら何かの診断名がついたかもな、と思う。

今だって生育歴だの子供の頃の通知表だのを持って病院に行けば、何かの診断がつくかもしれない。

未だにいろいろと世間とゴタゴタしながらも、私は一人で暮らして一人で働いている。

それは、支えになるべき家族が居なかったからだ。

自分がそういう人間なのは解っていたので、実家から出る気もなく、地元で就職して頃合いが来たら結婚して専業主婦になってという道しかないだろうと思っていた。

しかし親は親で両親とも変わった人たちだったので、子供のことなど勝手に育つと思っていた。

普通なら高卒で働く子供の就職先の相談に乗ったり、就職が決まればスーツを買いに行ったり、そういう事をするものだと思うが、一切してもらえなかった。

社会性のない、他の子よりはるかに常識を知らなかった自分が、社会に出ていくのはなかなか大変だった。

そうこうするうちに、親が他人に騙されて一切を失う事になり、私は連日押しかける借金取りから逃げるように地元から東京に出てきた。

正直、このままでは売られちゃうと思うくらい、当時のサラ金はえげつなかったのだ。

何が言いたいかと言えば、そんな社会性の無い、発達に問題のある自分でも、生きねばならないとなればどうにかするしかなかったのだ。

 

今日のノンフィクションの母子は、言ってみれば裕福な家庭なのだ。

そうは言っても年老いた両親が支えていけるのは、もう10年が限界かもしれない。

だからもう少し自立させれば良いのに、母親は自分がなんとかしなければと手を掛けすぎている。

子供の頃の息子の写真は、発達障害という感じには見えない。なかなか闊達に笑っている。

私の幼少時には、家族の中でも笑うことすら少なかった。

 

自分が生きてきた過程で思うのは、発達障害はある程度学習や訓練で緩和できる気がする。

発達障害の人と関わっても、それは感じる。

ただ彼らが信頼した誰かや何かから、繰り返し理解できるまで同じ事を受け取らないと、回路が繋がらない。

私も長い時間が経ってから、あの時の誰かが言ったあの言葉の意味は、こういう事だったのかと思ったりする。

たぶん普通の脳機能の人たちは、子供の頃に習得しているような事だ。

 

私には自分を支えてくれる親はなかったので、今に至っても全ての人と軋轢を起こしながら生きている。

それでも少しづつ、社会性は身についている

そうやってでも、生きなければならないから。

 

今日のノンフィクションの中で、父親が息子には支えてくれる誰か(暗に奥さん)でも居ればというような事を言っていて、そこに母親が「あの子は女の人に興味はないの」と一蹴していた。

そこは本人に任せないと。べったりし過ぎじゃんと思うよ。