いちねんのながさ

昨年の今頃、職安に通っていた。

家から歩いて1時間。

この時期でも歩けば汗をかく。

いろんなコースで歩いたけれど、その歩くコースの近くにあのバス停があった。

昨年の11月に、路上生活の女性が殺されたバス停だ。

そんな事もあったからか、あの事件は私にはずっと心にかかる事件なのだ。

 

最近久しぶりにネットで検索してみたら、NHKのサイトにあの事件の取材の記事があった。

そこには若い頃の彼女が、溌溂と笑っている写真があった。

彼女の生きてきた軌跡も取材されていた。

私は、彼女は40代くらいになってから、東京にひとりで出てきたのだろうと想像していた。

その頃はすでにバブルが弾けていて、職探しは結構大変だっただろうと思った。

彼女が東京でひとり暮らしを始めたのは、30代だったようだ。

その頃なら、まだ景気の良い頃だったかも知れない。

そこから先どう生きたかは、誰にも知らせていなかったようだ。

地元の友人とも自分から疎遠にしたようだった。

その辺りは私と似ている。

私も一時期は親にも誰にも、居場所を知らせなかった。

 

彼女と私で、何が違っていたのだろうかと思う。

私はある時期から、事務系の仕事だけをしてきた。

もともと事務の仕事が嫌で、手に職系の仕事をしていたが、実のところそういう仕事は若い人が多く、長く続けられる女性は少なかった。

その当時、事務職だって正社員で定年まで勤められる女性は、ほんの一握りだった。

それでも事務系の派遣は多少年齢が上でも仕事はあったし、結局は女性の仕事で一番需要があるのは事務仕事だと思った。

そこからずっと、事務の派遣をしている。

 

彼女は、ずっと販売の仕事をしていたらしい。

そういう仕事は、一日から入れる仕事も多く、昔なら取っ払いでギャラが出たりした。

試食販売は若いより少し年配の方が良かったりと、常にある仕事だったと思う。

私も若い頃は1.2回やった事があるけれど、遠くに行かされたりして、疲れてしまって続かなかった。

そういう仕事も、疫病の所為で見なくなってしまった。

 

私と彼女は同じ時代に同じような生き方をしたと思うけれど、きっとひとつ違っていたのは、彼女の人生のある時期までは、普通に幸せだったという事だろう。

底辺にずっといた私は、どうやってでも生きていけた。

明るかったものを失った彼女は、それを取り戻したいと思いすぎたのかも知れない。

みっともなくても生きて行こうと思うなら、頼れる場所は意外とあったんだよ。

何も深夜のバス停に、夜明けまで座って居なくても良かったんだよ。

 

追記(2021.10.31)

「彼女は、ずっと販売の仕事をしていたらしい」と書いたが、NHKや他の記事を読むと東京に住み始めた当初は、パソコン関連の仕事をしたりとデスクワークの仕事もやっていたようだ。

試食販売をする仲間内には、販売の仕事しかしていないと話していたようだけれど。

デスクワークの経験があるのなら、どうして事務系の派遣をやらなかったのだろうな。

今は、ミドルやシルバー世代の事務系派遣も多くあるのに。

時給は最低賃金の仕事も多いけど。

もうこの世にいない人には、何も伝えられない。