開花宣言

昨日は東京も雪だった。

そんな中、開花宣言

 

今日、とうとう電子レンジが壊れた。

もう6.7年前に、庫内灯が切れて、そのうち電子レンジ機能を使うと電源が落ちるようになった。

それでも騙し騙し使っていたが、今日になってレンジ機能が死んでしまった。

動かしても加熱しなくなった。

辛うじてオーブントースター機能は生きている。

1987年製造のシャープ製トースターレンジ。

今こう言う電子レンジとオーブントースターという、シンプルな機能の物は売っていない。

オーブンレンジでは、オーブン機能はあるけどトースターとしては使い勝手が悪い。

 

長年使ったトースターレンジは、まるで人間が年を取るように、少しづつ壊れていく。

そういうところも、昭和の家電という気がする。

最後の最後に本当に何の機能も使えなくなるまで、買い替えはしないと決めた。

 

春一番

東京に春一番

たしかに、外に出たら春の風が吹いていた。

 

図書館で松谷みよ子の「あの世からのことづて」を借りてきた。

この本は文庫化された時に一度購入したのだけど、実家に送ってその後母がどこかにやってしまったようだ。

時々読みたいと思うことがあったが、絶版のようで手に入らなかった。

以前図書館でも探してみたが近所の図書館には無かったりして、そのままになっていた。

 

最近また図書館で探してみたら、出勤途中に寄れる図書館に置いてあった。

借りて帰ったら、松谷さんのサインが入っていた。

寄贈本とは書かれてなかったが、発売年よりずいぶん経ってからの所蔵印が押してあるので、寄贈されたのかも知れない。

 

人魂の話が載っていた。

人が死んだ家から人魂が出てくるという目撃談は、戦前くらいまではよくあったようだ。

そういえば父親が若い頃とその母である祖母と一緒に、火の玉を見た話を聞いた事がある。

今では人魂が飛ぶなんてほぼ聞かない。

世の中が明るくなって、霊魂も見えなくなってしまったのか。

 

この本を20代で読んだ時には、自分の死は身近な事では無かったけれど、今読むと自分の死の事も考えてしまった。

年を取るのは、本当にあっという間だった。

もう生きる準備より死ぬ準備をすべきなんだろうな。 

月光

曇っているので月明かりではないのだけれど、なんとなく。

 

ここのところ微妙に調子が悪くて、健康診断でも経過観察だけれどなんとなく悪い結果が出て、なんかこれは病気なのかもという気がしている。

病院に行けば良いのだけど、私は病院嫌い。

まぁでも、死ぬかもねと思いながら、少しづつ身辺整理を始めようかと思ったりもする。

 

昨日、自分用にバレンタインチョコを買った。

さほど高いチョコではない。

以前バレンタイン用に年配の上司に送って意外と受けが良かったので、自分用に買おうと思って居ながら、あれから10年以上経った。

別にバレンタインの時期ではなくても売っているが、バレンタインの時期になると百貨店に出店するので買いやすいというだけだ。

今年は買おうと思いながら、バレンタインの前が意外に用事があって中々行けず、もう良いかなまた来年でも、それに普段はあんまり行かない場所にある店舗に行けば、買えないわけではないしと思ったりした。

いつもつい先送りにしてしまうのだけど、考えてみれば、私に本当に来年はあるんだろうかと思って、今年は仕事帰りに途中下車して買いに行った。

バレンタイン当日で、予定していた百貨店の催事はもう終わっていたけど、他の百貨店の催事はまだやっていた。

目的のチョコを買う前にいろいろ見ていたら目移りしてしまったが、目的のチョコだけ買って帰った。

外国のショコラティエの凝ったチョコとかじゃないので、売り場は空いていたのですぐ買えた。

バレンタインのチョコレートフェアは、もう女の子の楽しみになっているな。

私が上司に贈っていた頃は、上司にはこれ同僚にはこれと、選ぶのが大変だった。

予算もあんまり掛けたくない、所謂義理チョコだったわけだし。

それはそれで懐かしい想い出。

 

自分のために買ったチョコ。

一日一日、明日死ぬかもと思って生きようと思った。

まだチョコ食べてないけどね。

走馬灯が待っている

起きがけに見た夢は、総天然色の綺麗な海の夢だった。

そして、その流れから今度は高い障害を登る夢。

高い障害を登るとか、更にその高い障害から飛び降りる夢は、時々見る。

きっと心理学的には、なにか意味があるんだろうな。

それにしても、海は綺麗だった。

 

最近しみじみと思うが、結局生きる事って自分の経験値を上げるための試練の場なのではと思う。

いかに辛い試練を乗り越えるかみたいな。

 

ここのところ、なんだかそろそろ死ぬんじゃないかと思ったりしている。

先日も仕事帰りに最寄りの駅から歩きながら空を見ると、もう暮れた空に綺麗な三日月が架かっていて、たまたま周りには誰一人居なくて、そこに宮沢賢治の童話のような風がどうと吹いて、あー死んだらこの風に乗って遠くまで行けるなぁなどと、本当に幸せな気分になった。

会社の昼休みにお弁当を買いに出て、どんなに辛い人生で、最後は誰かに殺されたとしても、それでも死ぬ間際は走馬灯をみながら、自分の人生に満足して死ぬのじゃないかなどと、唐突に思ったりもした。

 

私の生きた時間は、他の多くに人と比べたら驚くほどに貧しく、理不尽だったと思う。

それでも、生きることが経験なのだったら、私はこの過酷だった日々を、よくリタイアせずに生き抜いたと満足するんだろうと思う。

自分の人生に起きる事は、自分で選んで生まれてくるという説もある。

殺人者は殺人という経験がしたくて、被害者は殺されるという経験をするために。

まぁ、たとえ輪廻していても、何も覚えていないので、誰もその証明はできないけど。

 

あー、若い頃、丹波哲郎の邸宅のそばに住んでいた事があった。

丹波さん、死後はどうですか?結局何のために生まれてくるのですか?

あんなに研究してたんだから、どこかでこっそり教えてくれたら良いのになぁ。

 

初夢

なにか、そう悪くない夢を、みていたような気がする。

 

今日も午前中からお出掛けした。

あちこち行くので、地下鉄の一日乗車券を買った。

24時間使えるものを買う気でいたのに、本日限りのものを買ってしまった。

なんか券売機でどっちにしようかなみたいに見ている時に、機械の調子が一瞬おかしくなって、それで間違えてしまったのだが、まぁ仕方ない。

買ったのが11時位だったから、次の日の午前中ほぼ使えたのに残念。

 

ここのところ都内にいる時は毎年、皇居へ一般参賀に行っていたが、今回はやめておいた。

ここ2年の参賀が異常な人出で、待ち時間が長すぎて辟易したからだ。

それでも上皇陛下がお出ましになるとの事なので、行きたい気持ちはあったのだけど。

 

結局行かずに終わったので、今日は普段はやらない朝のシャワーを浴びてから外出して、恵比寿の写真美術館と、清澄白河の現代美術館に行ってきた。

どちらも常設展が今日明日と無料。

皇居に行くときは2回め辺りのお出ましに参賀した後は、いつも竹橋の近代美術館に行っていたが、今回は行かなかった。

 

写真美術館は久々に行ったけれど、今日はやけに人が少ないなと思ったら、毎年恒例だった雅楽の演奏が、今年は4日になっていた。

今までお正月の無料開放があんなに混んでいたのは、雅楽目当てだったのだな。

ガーデンプレイスには、小槌を持った翁の装束の人と獅子舞が出ていて、お獅子に頭をパクンとしてもらったので、今年は良い事あるはず。

翁に小槌で福も振りまいてもらったし。

 

清澄の現代美術館もリニューアルしていた。

現代美術館の作品は、ちょっと自分もなにかやってみたいと思わせる作品があるので楽しい。

本当は清澄の流れで江戸東京博物館も行きたかったのだけど、もう遅くなってしまったので今回は諦めた。

 

帰りは新宿の100均で、置くだけでスマホの充電が出来る充電器を、怖いもの見たさで買ってしまった。500円也。

とりあえず使えました。

スマホに負荷がかかってスマホ壊れるとかならない事を祈る。

 

そういえば、昨日買えなかった無印の福缶が、恵比寿の駅ビルにある無印で、お昼すぎでも普通に売れ残っていた。

今回はやめようかとも思ってたけど、買ってしまった。

以前も他が全部売り切れていた福袋が、恵比寿にだけ残っていた事があったので、多少期待はしてたけど。

 

明日はさすがに部屋を片付けないと。

お正月は後半が忙しい。

初売

初売りへ。

 

働き方改革も何のその、1月1日から働いている人々は居る。

朝早くから並んで初売りに臨む人々も居る。

 

以前は歩いて行ける場所に百貨店があったので、正月の朝は多少寝坊しても目当ての福袋は買えた。

今は電車に乗って行くしかないので、早起きしないと買えない。

もたもたしていたら、目的の場所に着いたのは12時過ぎだった。

目当ての無印の福缶は買えなかった。

今年はそこまで欲しい気も無かったので、まぁそれでも良いかとも思うし、明日別の場所の無印に早めに行ってみようかとも思う。

 

目当ての物が買えなかったので、ぶらぶらとしていたらアストリアという洋服屋の福袋が三千円で出ていたので買ってみた。

五千円の物もあってアウターも入っていると言われたけど、コートはハズレが多いのでやめておいた。

三千円で洋服の福袋買ったのは、無印が三千円で洋服の福袋出していた時以来かも。

あの当時、無印の三千円のレディース福袋には必ずピーコートが入っていた。

そして5日位になっても売れ残っていた。

その頃はステーショナリーとかヘルス&ビューティーの福袋とかも、暫く売れ残っていた。

中華民国の人々が爆買いをするようになるまで、無印の福袋は大して人気のない福袋だった。

 

今回買ったアストリアの福袋だけど、予想外に当たりだった。

とりあえず会社で着れそう。

今年は、あまりにもオバさんくさい格好で出勤するのは辞めようかと思っている。

この間どこかの掲示板で、うちのパートがパジャマみたいな格好で出勤していてどうかと思う、みたいな書き込みを読んで、自分かもと思ったりしたのだ。

そんな変な格好では無いと思いたいが、そういえばよれよれのカットソー着ていって、お手洗いにある大きな鏡を見て、これはさすがにと自分でも思った事があった。

 

思えば2016年の末に父が亡くなって、仕事の切れ目だった事もあって暫く実家に戻っていて、戻って来て働こうと思ったら事故で骨折して、そこで取り返しが付かないほど太ってしまい、今までの持っていた仕事で着られそうな服が着られなくなった。

その後痩せる事もなく、適当な服でなんとなく乗り切ってしまった。

見た目が適当だと蔑ろにされる確率が高く、この2年は色々面倒だった。

自分でも、低い扱いに甘んじていたし。

 

ちょっと今年は、自分のメンテナンスをちゃんとしよう。

今日はついでに安いアクセサリーのお店の、更に安い10個入って300円の福袋も買ってみたので、使えそうな物は使ってみて、ちょっと綺麗にしよう。

いっそ婚活してみるか。

新たな年

年があけて令和弐年。

 

全然掃除も出来ず、お節的な料理も今年は全く出来なかった。

紅白とか、他の番組とかうろうろ観ていたら、気がついたら紅白もトリの歌手だった。

その時点で自分では、まだ9時くらいの感覚だったのでびっくりした。

なんだろうねー。

大人の時間は早いね。

 

子供の頃は、新年の朝に目を覚ますと、空気が変わっていた。

新年の空気だった。

前の晩はいつもの空気なのに、新年の朝目を覚ました途端に空気が新しくなったような不思議な感じだった。

そういうのは、実家を出るまで続いたし、ひとり暮らしを始めても新年の朝は特別な新しさがあった。

それが何時からか無くなった。

なにかきっかけがあったのか、何も無かったのか、いつの間にかお正月の朝も同じいつもと同じ空気になった。

 

子供が居ないからわからないが、きっと子供を持っていたら、またあのお正月の空気が戻ってきたのかも知れないと思ったりする。

そういう事は沢山ある。

子供と一緒に追体験したり、子供時代をやり直したり、そういう事を子供が居れば出来たのかも知れない。

 

今となっては、お正月も夏休みも普通の一日だ。

 

ここ2年ほど他人に翻弄されていたので、今年はしっかりしよう。

行くべき場所へ行って、やるべき事をしよう。

この間日光へ行って、結構真剣に小さな祠にお参りして来たので、それを叶えるべくやろうと思う。