時間泥棒

もう連休最終日の夕方。

 

時間、たくさんあったはず。

この3日何してた。。

まぁいつものことだけど。

 

昨日は晴れたので、久々に午後から散歩がてらお出かけした。

3時間くらい、一度も座らず歩き回っていた。

 

以前住んでいた辺りに古道具屋があって、住んでいた当時は一度も入った事がなかったのだけれど、一昨年くらいに近くに行った時に初めて入ってみた。

入ってみたら、奥にとんでもなく色んなものがぎっしり詰まっていて、探せばいろいろお宝がありそうだった。

その後何度か行って、昭和なキャラクター食器だとか、数点買って帰ったりした。

 

昨日は久しぶりに、歩いてそこまで行ってみようかなとぶらぶら出かけた。

1時間位ぶらぶら歩いて着いたら、お店が無くなっていた。

前回目を付けていたアレとかアレとか、買おうかと思ってたのに。

あとから調べたら、先月末で閉店したらしい。

でもホームページとか残ってるから、もしかしたら名前を変えて再開したりしないのかしら。

大変残念。

今更口コミを見たら、愛想の悪いオヤジで買い取りの時の態度も最悪、みたいな口コミばかりだった。

そう言えば、ここに一度だけ買い取り依頼をして、部屋に取りに来てもらった事があった。

愛想の悪いオジさんが来て、禄に品物も見ずに「値段はつかないけど、無料で引取るよ」とか言われたんだった。

不要なものだったからそのまま持って行ってもらったけど、なんかモヤモヤしたのを想い出した。

店舗で買い物をする分には、そんなに愛想も悪くない中年の女性が居て、そんなに悪い印象ではなかったけど。

 

今住んでいる中央線に近い辺りは、古道具屋もなんか若者向けのきれいなお店ばかりで、あんな混沌とした店はないのだよね。

無くなる前に行きたかったな。アレとかアレとか、そしてアレとか。ふー。

 

この連休こそ片付けをしようと思い、数日前に壁に期限まで付けて張り紙したけど、この連休も何も出来ず。

そんな連休にも働いている人は沢山いて、そういう人が事故で亡くなるニュースを見ると、なんだか申し訳ないような、いたたまれない気持ちになる。

こんなにだらけていて、何の役にも立ってない自分は生きているのに。

生誕

雨の天皇誕生日

 

もう今の天皇の御代に、一般参賀にいくかどうかわからんなぁ。

上皇がお目見えするかも知れない、新年は行きたい気もするけど。

 

今の天皇は、子供の頃から良く婦人雑誌やら皇室アルバムみたいなテレビ番組などで見ていて、馴染みがあるけど、馴染みがある分、嫌な記憶にも繋がる。

貧乏でその日食べる物にも困っていた子供時代に、皇太子だった頃の天皇はテレビの中で「ナルちゃん」と呼ばれ持て囃されていた(貧乏でもテレビはあった)。

同じ子供なのに、この境遇の違い。と思ったものだ。

そして、皇后は私と同じ年の生まれだ。これまた、なんの苦労も知らないようなお嬢さんで、私が悪い男に引っかかってひどい目に遭っていた時期に、華やかに皇室に嫁入りした。

その頃の自分のどん底感が、皇后を見る度に想い出される。

両陛下は出来れば見たくない方々なのだ。

 

平成の時代には、もう後半になって一般参賀に行くようになったが、それは私にとってはイベントみたいなものだった。

ただ行く度に、ちょっとだけ皇室に親しみも覚えた。

皇室なんて要らないじゃんと思っていたが、これもまぁ有って良いのかなとか思ったりした。

令和になって、今はまた皇室要らないじゃんと思っている。

 

どこぞの姫君はさっさと国も捨てて出ていったし、そんな感じの人達に国家予算必要なのと思ったりする。

自由にさせてあげたら良いよ。と思う。

 

そんな今日は、もっと別の人の誕生日なのだ。

もう居ない、もう歳を重ねることも出来ない。

 

そんな日も私は、ただだらだらと怠惰に過ごしている。

だって、彼はもう居ないから。

早く寝ないとね

節分も過ぎ、予報では寒さも底を打って、あとは春に向かうだけらしい。

 

今週は都内も雪が降って、その日は部署の多くの職員が当日朝から在宅勤務にしたり、昼頃には切り上げて午後在宅にしたりと、定時まで残っている職員はほとんどいなかった。

私の通勤は地下鉄だけしか乗らないので、全然普通に定時まで残っていたけど、女性で残ってるのは自分の部署では私だけだった。

帰る頃には積り始めていて、大変楽しい気持ちで雪を踏みながら帰った。

ちょっと踵が滑ったりする感触も、また楽しい。

帰り道は当然、あんまり車の停まっていない駐車場の中を新雪を踏みながら縦横無尽に歩き回った。

若干危ないBBA感は出てたかも知れないが、外を歩いている人も少ないから全然平気。

数日経った今も日陰には雪が残っていて、毎日その残雪をわざわざ踏んで歩く。

今年の雪はきっとこれで最後だろうから、十分楽しませてもらった。

 

ここのところ仕事がつまらなすぎる所為か、どうも気分が沈みがち。

職場そのものは嫌いじゃないのだけれど、なんか仕事が不毛過ぎてやる気にならない。

こんなに仕事出来ない奴ではないはずなのに、仕事も遅々として進まない。

先輩派遣さんが満了で退職して、新しい方が来て、別に良い人なんだけど、やっぱりなんか普通に幸せそうな人と仕事するの辛い。

前の派遣さんも明るくてきれいな人だったが、そこはかとなく陰があって程良かった。

旦那さんは会社経営者っぽかったので、全然普通に幸せだとは思うけど。

今頃、海外旅行にでも行ってるのかもなぁ。いいなぁ。

 

人気の漫画のドラマ化を巡って、原作者が自死に至るという痛ましい出来事があった。

ドラマはあんまり観てなかったけれど、原作の漫画は漫画サイトで無料で読めるところだけ読んだことがある。

主人公を演じた女優は、漫画とは違って随分と華奢な女優だった。

そこから既になんか設定に無理な感じが、と思ってはいたが、ドラマ化すると大抵そんなもんだよね、と思っていた。

ドラマが終わって原作者がSNSに書いた事を読んで、あー原作者は納得していない部分があったんだなぁと思っていると、訃報が流れた。

想い入れのある作家ではないけど、これは駄目だ。報道を見て思わず嗚咽のような声が出てしまった。

こんなことで命を落とすなんて、本当駄目だ。

まだたくさん作品を残せたはずなのに。

「セクシー田中さん」は、女の子がいかにいろんな事と戦って生きてるかを、ちゃんと言語化し表現した良い作品だったのに。

残念で仕方ない。

 

いろいろと低めだが、最近の楽しみは金曜の夜に「葬送のフリーレン」というアニメを観ることくらい。

千年以上もひとりで生きている、孤独で可愛い魔法使いのエルフ。

いちねんのはじまり

新しい年になった。

 

私にとっては、あまり新年らしさも感じない年明けだった。

コロナ前は毎年1日から初売りに出掛けていたが、今年はそんな気力も無かった。

でも天気は良かったので、午後は近所をぶらぶらと散歩して、普段通らない路地を通ってみたりした。

途中にある神社やお寺は、そこそこ並んでいたので参拝はしないで、そろそろ帰ろうと思ったら、携帯に能登半島地震の通知がきた。

時間を置かずにどんどん通知が来るので、大きな災害になるのではと思った。

状況がわかってくるほどに、被害が大きくなっている。

災害に遭われた方々に、必要な支援が届きますように。

 

2日は例年通り、美術館の無料開放のはしご。

もたもたしてて出遅れたけど、写真美術館と現代美術館へ。

写真美術館では市井の人々を写した写真が多くあって、その中にもう居ない人が写っていないだろうかと、つい探してしまった。

いるはずは無いんだけど。

既にない景色が写真の中に残るように、彼の姿もどこかで写真の中だけでも残っていけば良いのにと思ってしまう。

 

ウクライナで撮った写真を、日記と共にスライド展示していた作品もあった。

日常が非日常になっても、日常を淡々と送る事は、大事な人を突然失ってしまっても日常は続く、今の自分の気持ちと似ている気がした。

 

現代美術館は、着いたのがもう15時を過ぎていたのもあってか、例年より空いていた。

今回は造形作品があんまりなかった。

なんだか分からないけど楽しいオブジェ、的なのをみると元気出るんだけどね。

 

明日からは仕事。

正月らしい気分が全然ないまま、正月休みも終わる。

 

見に来てくださる数少ない方々、今年もたまには更新しますのでよろしくお願いいたします。

いつかの屋上

もう十二月も後半。

冬至も過ぎてしまった。

大人の一年は、時間がすぐに過ぎてゆく。

 

先々週は五反田のTOCで、最後の徳の市が開催された。

今度こそ本当に最後みたい。

もう元からの店はほとんど退去してしまって、セールもよくあるバーゲン会場みたいだった。

これと言って掘り出し物もなかったけど、どういうわけか大物を買ってしまって、それが邪魔で混雑した中を廻るのを諦めて、いつもより早くTOCをあとにした。

まだ建物の閉館は来年になってからだけど、もう本当に最後なのかと思うと寂しい気持ちになる。

コロナ前の盛況だった頃の、あの楽しさはもう無くなってしまう。

最後はいつもは来ないような人たちも多くいて、普段はそこまで人の来ない屋上もいろんな人が来ていた。

あの屋上で、羽田を離着陸する飛行機が行き交うのを、見ることももう無くなる。

 

あの近くで短い間働いた時期があったけれど、あれからも随分と時間が経った。

あの頃はまだ三十代だったのだ。

それが、つい十年前かそこらにしか思えない。

本当に人生なんて短いものだ。

この勢いで、あとの二十年なんかすぐ終わる。

 

この間から、何か書きたいことがあったのに、それが想い出せない。

出社したり在宅したりしながらも、毎日働いている。

でも昨年と比べてあんまり頭を使う仕事もしていない所為か、すっかり記憶力が落ちてきた。

人の名前も全然出てこない。

社内でもとりわけ静かな職場だし、今時は固定電話が廃止されてしまったので、電話もならないので雑音がほとんどない。

刺激が無さすぎてボケる一方。

固定電話って、本当に無くなってしまって良いもんなんだろうか。

災害の時にTeamsなんて繋がるんだろうか。

 

クリスマスが終われば、もうお正月。

この間ふと買い物の帰りに夕暮れの中を歩いていて、もう一生ひとりなのかとちょっとしみじみ寂しくなった。

来年のお正月も、私は多分ひとりで忙しい。

一般参賀はさすがにもう行かないけど。

いつかの屋上

 

 

 

 

 

逢魔刻

何十年も生きているのに、毎年冬になると陽の短さに驚く。

16時を過ぎると、気がついたら部屋の中が暗くなっている。

在宅で仕事をしていると、いつの間にか薄暗がりでPCだけが煌々と明るい状態になっていて驚く。

会社に行くのが嫌で嫌で、家でできる仕事がしたいと思っていたが、しがない派遣労働者にとってみたら、出社した方が仕事はやりやすい気がする。

まぁ始業直前まで寝てて、仕事始まってもやってます風にしてサボってもわからないといえばわからないのは楽だけど。

 

在宅勤務をしていると、夕方暗くなってから外に買い物に出るのが面倒になってしまう。

夕方の暗くなった時間にその日初めて外に出て、薄暗い裏道を歩いていたりすると、今すれ違った人たちは本当に生きている人なんだろうか、などと薄ら寒くなる時がある。

これが会社で一日働いての帰りだったら、そんな風に思うことはないのに。

逢魔刻とは大禍刻とも書く。

 

ニトリで購入した天気管は、なかなか楽しい。

天気の予報できるほどではないけれど、日々結晶が変化するのを見るのは楽しく、遥かな大航海時代に想いを馳せたりする。

ガリレオ温度計も買っちゃおうかなー。

 

カルディで、チョコの出てくるアドベントカレンダーを買った。

自分のために買うというのは久々。

十二月になったので、イヴまで一日一個のチョコのご褒美。

 

少しづつ自分が本来好きだったものとか、やりたかった事とか取り戻していこうと思う。

もう男とかなんか、他人で自分を失くさないようにしないと。

 

とりあえず物を何とかする。何回も書いてるが、物を何とかする。

もうどうせ絶対使わない過去の仕事関係のものとか、職業訓練で勉強したテキストとかも、もうさすがに要らないだろう。

そういうのを見ていると、どうしてあの頃すでに、もう自分は駄目だと思っていたんだろうかと思う。

そんな風に後ろ向きに想い出すくらいなら、もう全て要らないのだ。

天気管

今日は雨。

 

天気管を手に入れた。

お値段以上ニトリで。

 

密閉したガラス管の中の液体が、天候に依って結晶する。

欧州で17世紀から使われていた気象観測機。

 

なかなか良い感じです。

ニトリなのでお安いし。

前から欲しいと思っていたが、他は結構お高いので見合わせていた。

倒して壊さないように気をつけよう。

 

東京は雨で寒い。

今年は、夏から一気に冬になったような感じだ。

 

彼の祥月命日がある十一月も、もうすぐ終わる。

三回忌だから、気持ちの上でも一区切りという気がする。

そうは云っても、まだ二年。

彼のことを全く考えないという日は無い。

今年は仕事も暇だから、想い出す時間もあるし。

それでもそろそろ、自分の時間を生きないと。

 

『葬送のフリーレン』というアニメを楽しみに観ている。

漫画が原作だが、漫画の方はコミックアプリで最初の方を読んだだけ。

内容は失った人の遺したものを見つけにいくような旅なので、観ると毎回彼の事を想い出す。

仕事をしながらも、彼の事を知る人がここに居たりしないだろうかと思うことがある。

いろんな場所に、営業として出入りしていたはずだから。

彼の何もかもが無くなってしまうのが、寂しくて辛い。

 

でも自分だったら、別に何も残らなくていいやとも思うから、彼もまた跡形もなく消える事が望みだったかも知れないが。