仏前にと遠方に供花を手配していたら、こんな時間。
それでもネットで何でも手配できる世の中は便利ではある。
雪の降る町へ贈る花。
最近のアップル社の雪の中で踊るCM、あのCMに使われている曲が、何とも切なくて泣きたい気分になる。
20代までを過ごした町に、今頃降っているであろう粉雪。
20代の頃のいろんな想い。
あの町に何かやり残してきてしまったような寂しさ。
生まれ育ったのに、もう帰る家のない場所。
あのCMは、そんな切ない気持ちにさせる。
仏前にと遠方に供花を手配していたら、こんな時間。
それでもネットで何でも手配できる世の中は便利ではある。
雪の降る町へ贈る花。
最近のアップル社の雪の中で踊るCM、あのCMに使われている曲が、何とも切なくて泣きたい気分になる。
20代までを過ごした町に、今頃降っているであろう粉雪。
20代の頃のいろんな想い。
あの町に何かやり残してきてしまったような寂しさ。
生まれ育ったのに、もう帰る家のない場所。
あのCMは、そんな切ない気持ちにさせる。
一般参賀に行こうと思ったが、朝起きられずに断念。
昨年は行ったが、位置取りが悪く皇族方の様子も良く見えなかった。
年々報道のカメラも増えてる気がするのだが、もうすぐ御退位だからなのかな。
昨日は嫌な事とか、気持ちが落ち着かない事とか、他人に会うとか、ここのところの自分のキャパではいっぱいいっぱいな日だったので、気持ちを落ち着ける為にどうでも良い事に没頭するみたいに夜ふかしをしてしまった。
十代位までは、何かイベントがあって落ち着かない日は、終わった後に全てを片付けて、平常に戻してという行為をしないと、どうにも落ち着かなかった。
大人になってからはそううい事もあまり無くなっていたが、最近は歳をとったせいか、栄養が足りてないせいか、脳のキャパが子供並みに戻ったのかもしれない。
1日にひとつの事をこなすのが手いっぱい。
イベントがいくつも有る日は、通常の自分に戻すのに時間がかかる。
今の自分はいろんな事が取り散らかっている。
もう老後に向かっているのだから、そろそろ物も頭も整理しないと。
転倒により膝を負傷。
いやいや、年齢の割に老化しているとは思っていたが、あんな段差で携帯見ながら歩いていたとは言え、転ぶなんて思いもしなかったよ。
タイツに穴が空き膝から血が滲むなんて、子供の頃以来かも。
出掛ける時に、そうだタイツが伝線したら困るから替えを持って行こうかな、とか思いながら持っていかなかった不覚。
買いに走る時間もなく、なんとかタイツをズリ上げてごまかしたけど。
考えてみれば、この時転んだ靴は、骨折した時に履いていたのと同じ靴だった。
この靴の問題もあるのかも。
割と履きやすいと思っていたが、そうでもないのかもな。
ブログを書くのは、何となく誰かに話したいくだらないことを、さすがに中学生じゃないんだから友達に電話するわけにもいかないので書くという感じ。
なので特別だれかに読んでもらいたいとも思っていないが、ランキングサイトにも登録せず、あえて目立つ記事も書かないとなると、誰も見に来ないもんだな。
はてなブログは新着記事も出さなくなったので、何となく目にとまる事も無くなったし。
以前あれこれあって、どうにもこうにも仕事が決まらない頃、最後の砦として某探偵事務所の相談員の求人を見つけた。
たまたま別件でネット検索していた時に、探偵事務所のサイトの片隅に求人募集があった。
そこには、応募条件が年齢が40歳以上の女性となっていて、どうしても仕事が決まらなかったらここを受けようと思ってブックマークに入れた。
その後、派遣の仕事やらなんやらで何となく仕事はしていたが、その求人はいつも自分の中では最後の砦として時々は気にしていた。
その求人の条件が、3年位前から35歳以上になり、最近見たら30歳以上60歳までと変わっていた。
最初その求人を見たのは、たぶん10年くらい前だ。
何かあったら、いつか本当に仕事が無くて困ったら、歳をとっていても使ってもらえるかもと思っていたが、そうはいかなくなったようだ。
浮気調査だの離婚の相談だの、ある程度年配だから良いのかと思ったのだが、今時はそうでも無くなったんだなぁ。
まぁ浮気調査なんか依頼してくるのは、30代とか40代の男女が多いのだろうから、同じような年齢の調査員の方が良いのだろうな。
最後の砦だった求人が無くなってしまうと、何だか老後の事が更に心配になって
きたなぁ。
世知辛い世の中よのぅ。
秋の低い日差しはなんか好き。
小学生の頃、仲良しの友達と学校帰りに歩いた道を想い出す。
あの大事な友だち。
今でも付き合いは無いけど、消息は知っている。
インターネットとは便利なものだ。
昨日テレビを見ていて、偶然な色々が重なって、今はやりたい仕事で成功しました。
という若い女の子を取り上げられていた。
そうそう、結局はやりたい事をやったもの勝ち。
それを出来る経済的な環境とかは重要だけど、結局は人脈とやる気。
何が一番やりたい事か、追い込まれて行き着くしかない事もあるし。
そこで如何に努力出来るかと言う事もある。
成功の途はあれこれあるが、結局は諦めたらその途はなくなるのだ。
そういう事は分かっているが、なかなか人は殻から抜け出せない。
さて、私もどうするべきか。
何かを始めるのに遅くはないというが、なかなかそこを信じて努力するのは大変。
宝くじは買わないと当たらないように、何事もやらなければ何も起こらない。
それは分かっているのだけれど。
12月になった。
早い。
今年はダラダラしすぎて、全然実感の無いまま1年が過ぎた。
どう考えれば良いのやら。
ネットをウロウロしていると、つぶやきやらブログやらで、仲良し夫婦の書き込みを読んだりする。
どちらかと言えば、仲良しとは言い難い夫婦が多いけど、時々奥さんの事や旦那さんの事がとても好きっていうのを見かけると、幸せそうだなぁ羨ましいなぁと思う。
もちろん日本人は謙虚が美徳なので、敢えて他人にのろけ話はしないものだが、周囲でもネットでも『亭主元気で留守がいい』的な意見が圧倒的だ。
そんな中で、結婚して何年も経って子供が居ても、亭主かっこいい、大好きって人が結構居るもんなんだなと思う。
そういう相手にお互い出逢えるって、なんだか奇跡のように思う。
それは環境もあるだろうけど。
大人になってから、自分が生きやすい環境の中に居られた人は、自分と価値観の合う人に出逢う確率も高い。
大学とか職場とか、やりたい勉強が出来る大学に入れたり、やりたい仕事に就けたりしたら、当然周りには自分の価値観に似た人に出逢える。
仕事や学校では無くても、趣味の場やイベントなんかで同じ価値観の人に逢える事もある。
私はずっと自分の居場所では無い所に居る。
そこから抜け出す事が出来なかった。
全く努力しなかったわけではない。
でも、どうにもならない事が起きて、全てを諦めた。
そういう状況で出逢う人達は、当然自分とは価値観の違う人達だ。
それに慣れるしか無いと生きてきたら、誰にも出逢えなかった。
戻る途と行く途は、どっちが長いのだろうなぁ。
windows95が世に出た頃、いつかはパソコンから何でも調べられるようになると便利だねーなんて話をしたものだ。
あれから20年以上が過ぎて、今ではネットで大抵のことは調べられる。
嘘の情報もたくさんあるが。
黎明期のパソ通なんかは個人的に使った事はないが、2000年代に入ってADSLが普及した頃から自宅にパソコンを持ってネットの世界にどっぷりと浸かった。
あの時代のネットの中は長閑だったし、いろいろと自分の考えを言える場があった。
今のネットの世界は『いいね!』を貰うための虚構の世界になった。
みんな幸せでなくちゃならないみたいだ。
あの時代に、痛々しいほどの自分の心の中を書いていた人達は、今どうしているだろうか。
ブログが主流になり、その後SNSが主流になり、あの人達はみんなどこかへ行ってしまった。