お伽噺

小学校の1年生。

当時は2年毎にクラス替えというのが普通だったが、子どもがどんどん増えていた時代で教室が追いつかず、1年毎にクラス替えをして人数を調整したり学級を増やしたりしていた。

それでも小学1年と2年の時は、辛うじて同じクラスだった。

しかし教師は1年毎に変わった。

その小学校1,2年で同級生だった、お調子者でいがぐり頭の男の子がいた。

幼稚園も保育園も行かず初めての集団生活にボーっとしてた私に、なぜだかこのお調子者は近づいてきて、好き好き言われて一緒に帰ったりした。

しかし、どうして良いか分からず、何も話さずに歩いて帰ったように思う。

ちょっとクラスの子に誂われたりして、余計にどうしたら良いのかなぁと思ったりした。

そうこうするうちに3年でクラスが変わって、その子の事は忘れてしまった。

当時は子どもが多くて、クラスが変わると友達も変わるというのが普通だった。

転校も多く、人の入れ替わりも早かった。

いがぐり君がその後、同じ学校にいつまでいたのかも覚えていない。

でも、初恋といえば初恋だったので、彼の名前は忘れなかった。

ただ漢字がどうだったかまでは、はっきり想い出せない。

 

この間ネットでうろ覚えの漢字で検索してみたら、それらしい人がヒットした。

写真も出ていたけど、同じようにいがぐり頭のその人は、あの7歳の彼の面影があった。

本人かどうかは確定出来ないが、名前に入っている漢字もそういえばこの字だったかもと想い出した。

あの子だったらこういう職についているかも知れないなぁ、という仕事をしていた。

 

こんなのは恋愛の遍歴には入らないが、それでも自分を好きだと言ってくれた人の中で、彼が一番まともだったなぁとちょっと笑える。

今まで碌な男に好かれなかったと思って来たけど、そんな事なかったかもなとちょっと思えた。

 

子どもの頃の恋だけどね。

歳を経る

今更『ハチミツとクローバー』の映画版を観る。

意外と面白かった。

公開は2006年。

 

今の歳で見ても、少なくとも感情移入しては観られないなぁ。

公開当時なら、まだ何となくこの若い人達の葛藤だのなんだのに感情的に近い位置に居たけど。

恋愛とか将来とか、そういうのが関係ない年齢になると、こういうの本当にただの物語として観てしまうのだ。

 

それが寂しいような嬉しいような。

 

すっかりオバサンではあるが、時々自分の顔を鏡で見て驚く時がある。

知らないオバサンが居る・・・みたいな。

 

子どもでも居て、子どもの成長と共に自分の老いを実感していくみたいな事が無かったので、いつまでも20代と地続きの所にいる。

だから自分が思ったより老け込んでいて、あまりに違う顔になっていて驚く。

 

 

40代までは、20代の写真を見ても面影があるけれど、50を過ぎると一気に20代の面影が無くなる。

50代で知り合った方に、20代の頃の写真を見せてもらった時も、その方の面影は言われて居るから分かるくらいだった。

そして私が50代で知り合った人に、20代の写真を見せても、やっぱり「この人誰?」って言われた。

それを言われるまで、歳はたしかに取ってシワも増えたけど、20代の自分と見分けが付かない程変わったとは思って無かった。

でもそれ以降確かに違うなぁと思う。

今、若い頃の知り合いに会っても、お互い分からないだろうなぁと思う。

 

歳をとった自分の顔に実は全然慣れていないが、これからはこの顔に似合った様子で生きていかなくてはと思う。

くすり

癌患者の疼痛治療にも使うみたいな薬を処方されたが、飲んだら筋肉に力入らないし、吐き気はするし、飲んで2時間くらいは怠くてしかたない。

2時間くらいだらだらしていると何となく大丈夫にはなるけど、何か食べ物を口にすると一気に吐き気がやってくる。

さすがにこんな強い薬でなくても良い気がするの。

先生、調子に乗って薬価の高いやつ処方してんじゃないのか!

って思わないでもない。

 

しかしこの薬の良いところは、幸せ物質セロトニンが増加するので、ほんわかのんびりした良い人になるところですね。

普段気が短く、無駄な正義感でピリピリしてるので、それが緩和される感じです。

そして、以前からの身体の不調である半身の緊張がとれて、血行も良くなってなんか楽って事ですね。

それだけの為に少量なら飲みたいくらい。

でも、先生が処方した量で飲むと、私には副作用の方が大きくて駄目そう。

 

そんなこんなな肋骨骨折だが、肋骨を固定する為にリブバンドという着脱出来るコルセットみたいな物を巻く。

私は小柄な割に豊満なので、これを巻くと男装の人達の胸潰しみたいな効果がある。

胸が潰れてみると、なんと洋服が着やすくなる事か。

でも、このバンドは普段何気なく着けられるような薄いものでは無いので、骨折治っても着けられる胸がつぶれる下着を買おうと真剣に探している。

以前から目立たなくする下着とか有るには有るんだけど、どうも今まで身体に合わず諦めていた。

でもでも、いかに胸を潰すと何かと平和というのに気がついてしまった以上、これは本気で探さないと。

女性の胸が目立つって、どんな場でも本当に良い事がない。

良いのは、それを売り物に出来る職業の方だけだと思う。

胸が大きいだけで無駄なセクハラや女性の間での陰口、誰にとっても平和じゃない。

そのうえ大きいって自分でいうと自慢だと思われる。

言わなくても自慢だと思われる。

同じように大きくても身体の大きい人はバランスが良いので、然程目立たないし大柄な人には男も女もあまり揶揄したりしないので羨ましい。

私など今時のバストサイズで言えば全然大きくないのだが、小柄な所為で悪目立ちして質がわるいらしい。

ま、そんな愚痴も自慢だと思われてしまうので(もうババアだから思われないか)、胸潰せる良い感じの下着見つけるよ。

和装用の下着とかまで良いのあったら買ってみようかな。

和装用意外と高いけど。

くもり

今日もゴミ出しに間に合わなかった。

大体が8時とか、どうかすると8時前とか早すぎなんだけど。

以前はもう少し遅かったので、出勤の時に出せば間に合ったけど、今はそれでは間に合わない。

その上現在は出勤もないから、余計に間に合わない。

 

骨折は治りかけて来てからが調子が悪く、痛みも続くので薬を変えたけれど、その所為で余計に調子が悪い。

肋骨骨折本当に舐めてたなぁ。

お医者さんにも1本折れたとかじゃないんだから、あなた重傷ですよって念押されたけどね。

外見からは全然骨折に見えないのが肋骨骨折なので、なんとなく軽傷な扱いだと思って、すぐにでも働けるとか思ってたんだよね。

しかし違ったのですね。

ただし、ゆっくり休養している経済的な余裕がないのだよね。

世の中って案外制度の抜け穴があって、どこからの救済も受けられないという状況があるのだと今回知ったわけですね。

 

雇い止め程度で働ける若者が簡単に生活保護受けられたりするわけだけど、逆にそういうもの全く受けられない人もいるのです。

怪我してると失業給付も受けられないしね。

 

住んでる部屋の設備もなんか壊れそうだし、悪い事は一度に起こるものだなぁ。

摂氏30度

真夏日だ。

肋骨にリブバンド巻いている身としては、暑いと辛い。

 

なんかねー、肋骨骨折程度で働けないわけないと考えていたのですね。

肺や心臓に折れた肋骨が刺さったとかでもないし。

それにしてはいつまでも痛いけどね。

 

いろいろと事情もあって、少なくとも今月は働くのは無理だと諦めて養生しようと思ったが、そうこうするうちに今月ももう下旬。

どうなることやら。

 

怪我をしてすぐは、他人がぶつかってくるのが怖くて、全然外に出られなかった。

食料の買い出しと通院と、せいぜい銀行へ行くくらい。

最近はだいぶ出掛けるようにはなったが、まだまだ人混みは怖い。

東京都が無料配布しているヘルプマークを貰ってきたが、使うのちょっと恥ずかしい。

もっと内部疾患の方とかが使うものだよなぁと思うと。

 

ヘルプマークは、実は見えない障害や疾患のある方が付ける物だとは聞いた事があった。

でも実際よく知らなかったのだが、骨を折った頃から外に出ると必ず、赤にハートと十字が白抜きになっているマークをカバンにつけている人を見かけた。

あれはなんだろう。そう言えばよく見かけると思って調べてみたらヘルプマークだった。

肋骨骨折みたいな外から見えない怪我をした所為なのか、本当に今まで全く見かけた事がなかったのに、急に目につくようになって調べたら、まさに今自分に必要な物だったという不思議。

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マリネリス渓谷の午後

ふと眼にしたり、聴こえて来たりする情報で、時々嫌な過去の事を想い出したりする。

過去のもうどうにも出来ないことや、若さゆえに踏み誤った出来事などを想い出すと、その頃に戻ったかのようにまざまざとその痛みをも想い出す。

その出来事から繋がる今が、さして幸せではないからだろう。

 

今日みたいな暑い昼下がりには、同じように暑い昼下がりにJ-WAVEを聴きながら仕事をした時代を想い出したりする。

若くて休日働く事も苦ではなくて、でもさほど良い想い出でもない時代。

 

あー、ブラッドベリなんか読んでるから、余計に気分がノスタルジックなのかもな。

ブラッドベリが亡くなったのはつい最近のような気がしていたけれど、もう5年も前なのか。

いつまでも生きていて、いつまでも新しい物語を見せてくれると思っていた。

 

 

真夏のような5月の午後。

少しは片付けを進めないと。

ガラクタ

『ガラクタ捨てれば自分が見える』という本を買ったのは、かれこれ10年も前。

読んだ時はすぐ捨てようと思えたが、結局全然片付いていない。

私の中では、捨てる系の本で一番やる気が出るのがこの本なのだが。

 

骨折する前に、ちょうど少しやる気を出して片付けを始めた所だった。

しかし骨折して重いものが全然持てなくなって、片付けは頓挫した。

骨折からひと月半がすぎて、少しは重いものも持てるようになったので、そろそろ片付けたい所だ。

しかしここに来ての体調不良。

どうもやる気が出ない。

大体が、経済的に遊んでいる場合でもない。

片付けどころじゃないのだ。

と、ぐるぐるして一日が終わる。

でもなぁ、本当いい加減片付けよう。

 

ずっと親と住んでいた家を親の亡き後片付けていた方のブログが、ここ1年更新されていない。

前触れも無く、突然その方の全てのブログの更新が無くなった。

多少体調が優れない事が書いてあったが、さほどの事でも無さそうだったのに。

 

いつ何があるか分からないなぁと思うと、私もこのままこの状況にしておけないよなぁと思う。

なぜこんなに物が増えたのだろう。

 

実家にいた頃は、部屋に極力物を置かないようにして、すっきり暮らしていた。

掃除もすぐ終わるし快適だった。

東京に出てきてからも、最初は物が少なかったし、極力増やさないようにしていた。

 

なのに、今はどうなんだ。

床にいろんな物が直置きされていて、収納の少ない部屋はモノで溢れかえっている。

そして使いたいものがどこにあるのか探し出すのも大変だ。

 

あー捨てよう。

人が生きていると何でこうも物が増えるんだろう。