走馬灯が待っている

起きがけに見た夢は、総天然色の綺麗な海の夢だった。

そして、その流れから今度は高い障害を登る夢。

高い障害を登るとか、更にその高い障害から飛び降りる夢は、時々見る。

きっと心理学的には、なにか意味があるんだろうな。

それにしても、海は綺麗だった。

 

最近しみじみと思うが、結局生きる事って自分の経験値を上げるための試練の場なのではと思う。

いかに辛い試練を乗り越えるかみたいな。

 

ここのところ、なんだかそろそろ死ぬんじゃないかと思ったりしている。

先日も仕事帰りに最寄りの駅から歩きながら空を見ると、もう暮れた空に綺麗な三日月が架かっていて、たまたま周りには誰一人居なくて、そこに宮沢賢治の童話のような風がどうと吹いて、あー死んだらこの風に乗って遠くまで行けるなぁなどと、本当に幸せな気分になった。

会社の昼休みにお弁当を買いに出て、どんなに辛い人生で、最後は誰かに殺されたとしても、それでも死ぬ間際は走馬灯をみながら、自分の人生に満足して死ぬのじゃないかなどと、唐突に思ったりもした。

 

私の生きた時間は、他の多くに人と比べたら驚くほどに貧しく、理不尽だったと思う。

それでも、生きることが経験なのだったら、私はこの過酷だった日々を、よくリタイアせずに生き抜いたと満足するんだろうと思う。

自分の人生に起きる事は、自分で選んで生まれてくるという説もある。

殺人者は殺人という経験がしたくて、被害者は殺されるという経験をするために。

まぁ、たとえ輪廻していても、何も覚えていないので、誰もその証明はできないけど。

 

あー、若い頃、丹波哲郎の邸宅のそばに住んでいた事があった。

丹波さん、死後はどうですか?結局何のために生まれてくるのですか?

あんなに研究してたんだから、どこかでこっそり教えてくれたら良いのになぁ。