本を読む

就学前には、そこそこの漢字も読めるようになった。

実家は貧乏で、子供が読むような本を、そうたくさんは買ってもらえなかった。

あまり高額では無いトッパンの絵本が数冊あったり、姉の持っている名作系の本がある以外は、大人の本しか無かった。

最初は覚えたてのひらがなで、大人の本のひらがな部分だけを読み、そのうち推測しながら漢字を覚えた。

その頃、間違った推測で覚えた漢字は、未だに読み方を間違えそうになったりする。

文字を覚えてとにかく文字が読みたくて、何でもかんでも、薬の箱の成分表やら、取扱説明書まで、隅々と読んだ。

そのうち話し言葉が、頭の中で文字として浮かんでくるようになった。

自分の話す言葉が、頭の中で文字になってずっと流れて来るのが煩わしかった。

 

そんな子供であったが、いつしかそんなに文字を欲しないようになった。

 

最近テレビで芦田愛菜ちゃんが、文字という文字は全部読んでしまうというような事を言っていて、あー私もそうだったなぁと想い出した。

 

子供の頃に、自分も子供の読むお話を書いてみたいと思ったのは、姉が学校の図書室から借りてきた『ちいさなモモちゃん」を読んでからだった。

若い頃は随分文章も書いて、本気で児童文学の書き手になりたかったが、そううまくいくわけもなく、そのうち生活に追われ色々とあって全く書くこともなくなった。

 

『ちいさなモモちゃん』を読んだ子供の頃、読みたい本が無ければ自分で書けば良いのだと思ったものだ。

 

今なら、私の読みたい本を書けるだろうか。