想い出は雪

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

バレンタインデーが良い想い出なのは、少女の頃かもしれない。

その頃の雪の降る田舎町では、都会のような華やかなバレンタイン商戦は無かった。

ハートチョコのCMでは、当時12歳かそこらの川崎麻世が出ていて、その格好の良さに子供ながら惚れ惚れした。CM自体はちょっとコミカルだったが。

 

現実には男の子なんかどうでも良かった小学生の私は、女ともだちとチョコを交換した。

親友と呼べる気の合う友達は、お母さんがお菓子を手作りするような品の良いお家の子だったので、バレンタインデーには手作りのチョコをくれた。

子供のことだから、湯煎に失敗して沸騰させたらしいチョコは、気泡の入ったほろほろとしたチョコだったが、初めてもらう親友からの手作りチョコは嬉しかった。

私からは、それこそ当時20円かそこらだった、ハートチョコをあげたような気がする。

 

雪の降る田舎町のその親友との想い出は、今でも宝石のように美しい。

彼女は今も雪の降る国で、絵を描いて暮らしている。

もう逢うこともないけど。

彼女は私を憶えているだろうか。

節分

気がついたらもう2月。

この間いろいろありました。

5年近く住んだ部屋を取り壊しで引っ越し、引っ越しではいろいろと疲れる出来事も多く、すっかり疲弊した。

その疲れを癒そうと実家に久々に帰ってきたが、ただ疲れただけだった。

雪の中を歩けた事が唯一楽しかった事か。

雪の中で育ったから、どうしても雪の感触が懐かしくなる。

 

引越後の荷物は、未だに片付いていない。

どこに何を入れたがが分からなくなり、出てこない物も多い。

引越した部屋は築年数が40年と古く、思いの他老朽化している。

浴室が元のバランス釜からユニットに変わっている分いくらか良いが、他は全然リフォームにお金を掛けていないようだ。

部屋のあちこちが、素人がペンキを塗ったみたいな状態で、汚れを落としたり以前のペンキを落としたりせずに塗装しているので、あとから塗った塗料がボロボロと剥がれている。

そして恐らく、前の住人が年寄りの男性だったのでは無いかと思うが、あちこちの汚れが酷い。

掃除もプロを入れていないのだろうなぁ。

落ち着いたら色々と手直ししないとならないだろうなぁ。

まぁそれも楽しんでやるしかないだろう。

 

以前住んでいた部屋は、私が引越した1週間後に見に行った時は、恐らく年配の女性ひとりを除いて全員退去していた。

あれから2ヶ月経ったので、恐らくもう取り壊されているのじゃないだろうか。

住みやすい部屋ではなかったが、どんな部屋でも去る時は少し寂しい。

 

 

平成最後の天皇誕生日

ものすごく混むのを覚悟で、一般参賀へ行ってきた。

通常なら初回のお出ましに間に合う時間についたけど、結局辿り着けたのは三度目のお出ましの時間だった。

今回は場所取り間違えて全く見えなかったが、今回は大きなモニターがあったので、まぁ雰囲気は味わえたか。

いつもより長いお手振りで、最後は御一家中心に寄られて笑顔であった。

それにしても時々雨も降る、何時になく思わしくない天候だったが、本降りでは無かっただけ良かったか。

 

今回は周囲の会話を聞いていても、初めて来ましたという人達が多く、人も多すぎでかなり消耗した。

たまたま位置取りしてしまった場所の目の前の人は、どんな皮膚病なのか単に小汚くしているのか、頭から首に掛けて硬い皮膚が粉を吹いていて、そのフケが断続的に落ちてくるし、さらにその人と一緒に来ていた青年は髪をむしってはむしった毛先を爪でしごいては捨てるというのを繰り返していて、しかも落ち着きがなくてうんざりだった。

その上、後ろには小学校低学年辺りの二人の娘を連れた父親が来ていて、その子供がはしゃぎ周り足は蹴られるは肘でガンガンやられるは、お目見えの時には父親が抱き上げているせいで背中辺りを蹴られるわで、イライラした。

しかもこの父親が、子供に注意はするけど「それ減点な」とかいうだけでずっとスマホ見てるだけだし。

正直この子達が一般参賀に来たことなんて、絶対覚えていないだろうと思う。

せいぜい大勢の人の中ではしゃぎまわった、という想い出くらいじゃないだろうか。

平成最後のイベントだから仕方ないのかも知れないが、馬鹿親子はおとなしくテレビでも見てろと思ったのであった。

 

本当は今日は、知人と三人でランチの予定だったが、参賀のあとでは間に合わない時間に有無を言わせず予約を入れられていたので断ってまで一般参賀に行ったんだけど、なんか今回は本当消耗しただけだったなぁ。

まぁでも、平成天皇の最後の天皇誕生日参賀に行ったという想い出にはなるかな。

全然見えなかったけど。

 

午後

土曜の午後。

この住宅街は、基本静かだ。

今も外からの物音がほとんどしない。

でも、住人は意外と賑やか。

まぁ、みんなもうすぐお引越しだからね。

 

シリアに拘束されていたジャーナリストが無事帰国して、自己責任論があれこれ言われている。

ジャーナリストに自己責任問う国なんて無い、とか海外では言われてるとかどこかで報道していたが、ここは日本なのですね。

未だ武士道みたいな精神論の根付いた、東洋の島国なんですね。

だから海外と比べても仕方ないのです。

それでも国は邦人が海外で犯罪に巻き込まれれば助けるし、捜査もするし、別に見殺しにはしないんだから、それで良いのにね。

自己責任という考え方が日本人であり、そこを海外に比べて恥ずかしいとか思う必要ないと思うけどね。

それでも紛争地帯に行く人は、行けば良いよ。

本当に何かを変えられるのは、その国の人からの発信のように私は思うけどね。

 

 

開放されたジャーナリストは、思いの外しっかりとしていて精神的に強い人なんだと思う。

拷問もあったようだけど、眼もしっかりしているしPTSDで苦しむという状況にもならなそうだから、そういう点では良かったと思う。

どこか遠い国で

人間の証明』とりりィさん。

この歌を聴いたのは、中学生くらいだったかな。

未だに想い出すフレーズ。

 

2年後くらいに取り壊しと決まっていた賃貸住宅が、急遽前倒しで取り壊しになると通知があったのが8月末。

そんなタイトなスケジュールにも関わらず、間に入っている不動産屋がさっぱり部屋探しに協力的ではなくて、やっとこれはまずいと部屋探しを始めたのが10月に入ってから。

若い頃の部屋探しと違って、不動産屋とのもやもやするやりとりに辟易しながらも、引っ越し先は決まりそうだ。

いよいよ荷物の整理を始めないとならない。

こんどは今より広い部屋の予定。

 

結局中野区には、4年余りしか住まない事になった。

若い頃住んだのと同じような場所に住んで、当時歩いた路地を歩きながら自分はすごく歳を取ったと実感し切なくなったりした。

なぜあの希望に満ちて暮らしていた状況から、転落していったのだろうと後悔したり。

そういう場所に住むことも、どこかで若い頃への未練と決別する意味で良かったのかも知れないが。

 

昨日、永年使っていた陶磁器を落として割ってしまった。

丈夫な器で、何回か落とした事もあったが割れずにいた。

今回は見事に割れた。

落ちる時に咄嗟に受ける事も出来たように思うけれど、なぜか割れないだろうと思って落ちるに任せてしまった。

景品でもらったような安い物だったが、本当に永い間毎日のように使った。

3色セットで、30年くらいの間にひとつづつ壊れていった。

今回は、引っ越しの前に役目を終えたのだな。 

究極の我儘

樹木希林さんが亡くなった。

メディアが取り上げる希林さんは、自分を貫いた素晴らしい人物って感じだ。

 

樹木希林さんのような人を嫌いではないのだけど、こと内田裕也氏との関係に関しては、そんなに持ち上げるような事なんだろうかと思う。

夫婦なんだしね、好きなんだろうし、別れたく無かったんだろうし、今となってはお互いに尊敬し合って付かず離れずの良い関係だったんだと思う。

しかしなー、内田氏の中では早いうちに終わった結婚で、離婚して結婚したい相手も居たんだと思うんだよね。

離婚届勝手に出しちゃったりした事もあるわけだし、その時話題になった美人女優も居たわけだし。

よく美輪さんなんかも言うけど、本当の愛は好きな相手の幸せであって、別れてあげるのが愛、みたいに言うしね。

これはこれで、それは都合の良い女じゃねーか場合によっては?と思うので、手放しで賛成は出来ない見解ではあるけど。

 

樹木希林さんは、そういう意味では究極に自分を通した人で、そういう生き方もあるのだけど、内田氏が他の誰かと本当に安らぎのある愛も得られたかも知れないのに、と思うとなんだか残念な感じがする。

 

まぁ、内田氏も樹木さんの死に憔悴しているという事なので、今となってはお互いに運命の相手だったのかも知れないけどね。

敬老の日は明日

自分も年寄りに近づいてきた。

でも別に敬われなくて良いな。

 

少し前の記事に、通り魔事件を起こした女の事を書いた。

ブログやtweetでは、反省しているようにも見えず、のうのうと生きていた。

 

その女が亡くなったようだ。

希死念慮があるような事を書いていたので、おそらくそういう事だろう。

死者に鞭打つというのは酷い事かもしれないが、でもこれで被害者の気持ちとしてはいくらかほっとしたのでは無いかと思う。

多少の後味の悪さもあるかもしれないが。

 

今更そんな事をするなら、事件を起こす前にやるべきだったとすら思う。

生きているのが辛い人はいる。

周りからみたら、その女は大して苦労もせず育ち、好きな絵を書いて我儘放題出来る旦那のいる幸せな主婦にしか思えない。

でも、生きるのが辛かったのだろう。

なら何故、刃を見ず知らずの他人に向けたのだ。

それが許せない。

彼女は今は目的を果たして幸せだろう。

この世は修行の場だという。

それを投げ出すのも、また修行のうちかもしれない。

 

私は合掌はしない。

理不尽に人を殺めようとした者に、情けなんて要らない。