彼岸に雪。

 

雪の降るのが見たくて、窓を開けてストーブを点けている。

 

昨夜は職場の飲み会。

正規雇用では無いので、そういう飲み会には行かないつもりだったが、行ってみていろいろと思うこともあった。

まぁ、もう行かないかもな。

気を使わせるし。

 

若い人を見ていると、若干失った若さを想い出して寂しくなる。

自分が若さを謳歌したり、やりきった物が無く歳をとったからなのだろうが。

これからの人とか、それなりにやりきった同年代とかの中にいると卑屈な気持ちになってしまい、それが嫌になる。

昨日は二次会に行くであろう人々より先に帰る人に便乗して、早めに場を離れ、独りでベローチェで珈琲を飲んでから帰った。

オフィス街にあるベローチェは、私にとっては憩い。

スタバとかもっと小洒落たカフェとかより。

 

さて明日も仕事。

私は私のやるべき事をするまで。

安い時給でなにおばさん頑張ってるの?と思う若い人にはそう思わせておけば良いし。

自分は自分で淡淡とやりたいように仕事をしましょう。

 

今日が雪で良かった。

今日がピカピカの晴天だったら、少し落ち込んだかも知れない。

弥生

三月も半ば。

肋骨を複数本骨折する事故から、一年が経とうとしている。

長かったような短かったような一年。

骨折箇所は、未だに痛い。

仕事は骨折前に働いていた職場に戻った。

骨折の所為で一年近くだらりとしていたので、仕事を始めるといろいろ戸惑いはあった。

予想外に仕事のカンが戻らず、自分にもイライラしたり、同じ職場でも別の部署になったので、仕事量も増えて痛みが無くなっていた肋骨の痛みもぶり返したし。

 

今年は三月になって暖かい日が多く、もう桜も咲きそうだ。

桜の季節に折った肋骨。

これからはこの時期になると肋骨を想うのであろう。

 

本を読む

就学前には、そこそこの漢字も読めるようになった。

実家は貧乏で、子供が読むような本を、そうたくさんは買ってもらえなかった。

あまり高額では無いトッパンの絵本が数冊あったり、姉の持っている名作系の本がある以外は、大人の本しか無かった。

最初は覚えたてのひらがなで、大人の本のひらがな部分だけを読み、そのうち推測しながら漢字を覚えた。

その頃、間違った推測で覚えた漢字は、未だに読み方を間違えそうになったりする。

文字を覚えてとにかく文字が読みたくて、何でもかんでも、薬の箱の成分表やら、取扱説明書まで、隅々と読んだ。

そのうち話し言葉が、頭の中で文字として浮かんでくるようになった。

自分の話す言葉が、頭の中で文字になってずっと流れて来るのが煩わしかった。

 

そんな子供であったが、いつしかそんなに文字を欲しないようになった。

 

最近テレビで芦田愛菜ちゃんが、文字という文字は全部読んでしまうというような事を言っていて、あー私もそうだったなぁと想い出した。

 

子供の頃に、自分も子供の読むお話を書いてみたいと思ったのは、姉が学校の図書室から借りてきた『ちいさなモモちゃん」を読んでからだった。

若い頃は随分文章も書いて、本気で児童文学の書き手になりたかったが、そううまくいくわけもなく、そのうち生活に追われ色々とあって全く書くこともなくなった。

 

『ちいさなモモちゃん』を読んだ子供の頃、読みたい本が無ければ自分で書けば良いのだと思ったものだ。

 

今なら、私の読みたい本を書けるだろうか。

冬季五輪

私が田舎の小学生だった頃、札幌で冬季五輪があった。

テレビに釘付けで、笠谷のジャンプを観たものだ。

もう半世紀近く前の事。

人の人生とは、案外短い。

 

ずーっと何となく体調の悪いまま人生を送ってきた。

自分でも本当に溌剌とした子供だった時代は、せいぜい10歳くらいまでだと思う。

あとは常に身体が怠く、いつも疲れている子供だった。

更に毎月の腹痛週間が小学生から訪れたので、元気いっぱいスポーツなんて事は考えることすらしなかった。

 

今は月々の腹痛週間が無くなっただけで、楽にはなったなぁ。

 

くちびるや爪が真っ青になるほどの貧血状態と痛みで、一歩も動けなくなり道端でしゃがみこんでしまう時も度々あった。

 

そんなにまでしての生殖機能だけれど、私は本来の機能を果たさず終わってしまった。

 

別にそれはそれで後悔も然程していないが、世の中は結婚もせず子供も残さなかった女性には本当に冷たいものだ。

それも男性からより女性から。

察かに、結婚もせず仕事で出世もせず、子供も持たずという独身女性は女性のヒエラルキーの一番下だ。

たとえ生活保護のシングルマザーでも、独身女性よりは共感される。

そういう国に生まれたら、やはり一度は結婚すべきだったんだろうな。

形だけでも。

眠い

眠いのに、一定の時間までは寝る気にならない。

でもそろそろこんな生活も辞めないと。

 

そろそろ携帯もスマホに替えないと。

 

やるべき事はたくさんあって、生きている時間も限られている。

なのに私は何年も何もしていない。

何もせずに年をとり、身体は年齢よりも衰えている。

今更何かをやろうとしても、体力が追いつかない。

 

タイムリープしたいなぁ。

そうしたら、こんどは間違えない。

真夜中のギター

まちのどこかで

さびしがりやがひとり

 

子供の頃、こんな歌が流行っていた。

その頃出会った同級生の少年を、ネット上で見かけた。

当然オッサンになっていたが、面影というのは無くならないものなのだなと思う。

 

男の人は女の人よりも変化が少ないのか、それとも彼が比較的苦労をせず育って、人相が変わるほどの苦悩が無かったのか。

私は自分の顔を写真で見ると、子供の頃の面影は殆んど残っていないように思う。

同級生が私を見ても、きっと分からないだろう。

 

そう言えば、小学校の頃仲良しだった少女も、今ではおばさんだけれど、ネット上で見つけた写真にはしっっかりと面影があった。

彼女は若い頃から老け顔だったけど、それにしても変わっていなかった。

彼女も苦労を知らない人だった。

いや、ずっと会ってないのだから苦労はしたのかも知れない。

でも、人相が変わるほどの苦労はしなくて済んだのだろう。

 

どっちも比較的余裕のあるお家の子供だった。

そして余裕のあるお家の子供らしく、気立ての良い子供だった。

 

他人を憎んだり羨んだり、他人から疎まれたり馬鹿にされたりしなかった子供。

彼らが幸せだった事は、心から良かったと思える。

二人共、私の中の大切で綺麗で楽しい想い出だから。