本を読む

就学前には、そこそこの漢字も読めるようになった。

実家は貧乏で、子供が読むような本を、そうたくさんは買ってもらえなかった。

あまり高額では無いトッパンの絵本が数冊あったり、姉の持っている名作系の本がある以外は、大人の本しか無かった。

最初は覚えたてのひらがなで、大人の本のひらがな部分だけを読み、そのうち推測しながら漢字を覚えた。

その頃、間違った推測で覚えた漢字は、未だに読み方を間違えそうになったりする。

文字を覚えてとにかく文字が読みたくて、何でもかんでも、薬の箱の成分表やら、取扱説明書まで、隅々と読んだ。

そのうち話し言葉が、頭の中で文字として浮かんでくるようになった。

自分の話す言葉が、頭の中で文字になってずっと流れて来るのが煩わしかった。

 

そんな子供であったが、いつしかそんなに文字を欲しないようになった。

 

最近テレビで芦田愛菜ちゃんが、文字という文字は全部読んでしまうというような事を言っていて、あー私もそうだったなぁと想い出した。

 

子供の頃に、自分も子供の読むお話を書いてみたいと思ったのは、姉が学校の図書室から借りてきた『ちいさなモモちゃん」を読んでからだった。

若い頃は随分文章も書いて、本気で児童文学の書き手になりたかったが、そううまくいくわけもなく、そのうち生活に追われ色々とあって全く書くこともなくなった。

 

『ちいさなモモちゃん』を読んだ子供の頃、読みたい本が無ければ自分で書けば良いのだと思ったものだ。

 

今なら、私の読みたい本を書けるだろうか。

冬季五輪

私が田舎の小学生だった頃、札幌で冬季五輪があった。

テレビに釘付けで、笠谷のジャンプを観たものだ。

もう半世紀近く前の事。

人の人生とは、案外短い。

 

ずーっと何となく体調の悪いまま人生を送ってきた。

自分でも本当に溌剌とした子供だった時代は、せいぜい10歳くらいまでだと思う。

あとは常に身体が怠く、いつも疲れている子供だった。

更に毎月の腹痛週間が小学生から訪れたので、元気いっぱいスポーツなんて事は考えることすらしなかった。

 

今は月々の腹痛週間が無くなっただけで、楽にはなったなぁ。

 

くちびるや爪が真っ青になるほどの貧血状態と痛みで、一歩も動けなくなり道端でしゃがみこんでしまう時も度々あった。

 

そんなにまでしての生殖機能だけれど、私は本来の機能を果たさず終わってしまった。

 

別にそれはそれで後悔も然程していないが、世の中は結婚もせず子供も残さなかった女性には本当に冷たいものだ。

それも男性からより女性から。

察かに、結婚もせず仕事で出世もせず、子供も持たずという独身女性は女性のヒエラルキーの一番下だ。

たとえ生活保護のシングルマザーでも、独身女性よりは共感される。

そういう国に生まれたら、やはり一度は結婚すべきだったんだろうな。

形だけでも。

眠い

眠いのに、一定の時間までは寝る気にならない。

でもそろそろこんな生活も辞めないと。

 

そろそろ携帯もスマホに替えないと。

 

やるべき事はたくさんあって、生きている時間も限られている。

なのに私は何年も何もしていない。

何もせずに年をとり、身体は年齢よりも衰えている。

今更何かをやろうとしても、体力が追いつかない。

 

タイムリープしたいなぁ。

そうしたら、こんどは間違えない。

真夜中のギター

まちのどこかで

さびしがりやがひとり

 

子供の頃、こんな歌が流行っていた。

その頃出会った同級生の少年を、ネット上で見かけた。

当然オッサンになっていたが、面影というのは無くならないものなのだなと思う。

 

男の人は女の人よりも変化が少ないのか、それとも彼が比較的苦労をせず育って、人相が変わるほどの苦悩が無かったのか。

私は自分の顔を写真で見ると、子供の頃の面影は殆んど残っていないように思う。

同級生が私を見ても、きっと分からないだろう。

 

そう言えば、小学校の頃仲良しだった少女も、今ではおばさんだけれど、ネット上で見つけた写真にはしっっかりと面影があった。

彼女は若い頃から老け顔だったけど、それにしても変わっていなかった。

彼女も苦労を知らない人だった。

いや、ずっと会ってないのだから苦労はしたのかも知れない。

でも、人相が変わるほどの苦労はしなくて済んだのだろう。

 

どっちも比較的余裕のあるお家の子供だった。

そして余裕のあるお家の子供らしく、気立ての良い子供だった。

 

他人を憎んだり羨んだり、他人から疎まれたり馬鹿にされたりしなかった子供。

彼らが幸せだった事は、心から良かったと思える。

二人共、私の中の大切で綺麗で楽しい想い出だから。

年始

平成三十年。

そんなに生きたのかと、感慨深い。

平成も、順調に行けばもうあと1年と少しで終わる。

今年の皇居での一般参賀は、前年の2倍の人出だったらしい。

昨年は地元に帰っていて行けなかったので今年は行ってきたが、今までになく待ち時間が長かった。

来年の新年の一般参賀が、今上天皇の最後の参賀になるが、あの状況を考えたら、もう来年は私は行けないだろうな。

今年は眞子内親王の最後のお手振りを、と思って行ったが、陛下を見るのも最後になるかなぁ。

天皇誕生日の方が、少しは空いているだろうか。

 

昨日は緊急地震速報の空振りやら、そうかと思えば夜になってから少し大きな地震が来たりと、なんだかそろそろ関東も地震を警戒しておく必要があるのかも。

食料をあまり買い置いていないので、非常食とか備えておかないとな。

 

昨年の1年間をどうにも変な状況で過ごしてしまったので、今年はしっかり目を醒まして生きていかなければ。

栄養も足りないので、栄養剤買おうと思って以前良く飲んでいたポポンSを薬局で探したが、見つからなかった。

そもそも商品名を忘れていてパッケージで探していたのだけれど、あとからネットでみたら、パッケージもかなり変わっていた、

だから見つからなかったのか。

 

子供の頃からなんだか疲れやすい子供だったが、未だに疲れやすい。

それでも、意外と長生きしたので、これからももう少し生きるのだろう。

それなら積極的に健康になっておかないと、独身女性はいろいろ大変。

 

そんな年始め。

今年は本を読もう。

降誕祭

仏前にと遠方に供花を手配していたら、こんな時間。

それでもネットで何でも手配できる世の中は便利ではある。

雪の降る町へ贈る花。

 

最近のアップル社の雪の中で踊るCM、あのCMに使われている曲が、何とも切なくて泣きたい気分になる。

20代までを過ごした町に、今頃降っているであろう粉雪。

20代の頃のいろんな想い。

あの町に何かやり残してきてしまったような寂しさ。

生まれ育ったのに、もう帰る家のない場所。

 

あのCMは、そんな切ない気持ちにさせる。

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お誕生日

天皇誕生日

一般参賀に行こうと思ったが、朝起きられずに断念。

昨年は行ったが、位置取りが悪く皇族方の様子も良く見えなかった。

年々報道のカメラも増えてる気がするのだが、もうすぐ御退位だからなのかな。

 

昨日は嫌な事とか、気持ちが落ち着かない事とか、他人に会うとか、ここのところの自分のキャパではいっぱいいっぱいな日だったので、気持ちを落ち着ける為にどうでも良い事に没頭するみたいに夜ふかしをしてしまった。

 

十代位までは、何かイベントがあって落ち着かない日は、終わった後に全てを片付けて、平常に戻してという行為をしないと、どうにも落ち着かなかった。

大人になってからはそううい事もあまり無くなっていたが、最近は歳をとったせいか、栄養が足りてないせいか、脳のキャパが子供並みに戻ったのかもしれない。

1日にひとつの事をこなすのが手いっぱい。

イベントがいくつも有る日は、通常の自分に戻すのに時間がかかる。

 

今の自分はいろんな事が取り散らかっている。

もう老後に向かっているのだから、そろそろ物も頭も整理しないと。