古傷が痛む

骨折は大分治ったはずなのに、相変わらず調子が悪い。

ここに来て結構痛いし。

病院で「梅雨だからね。古傷が痛むっていうし」とか言われたが、まだ古傷じゃないだろうと。

ま、仕方ない。

 

 

報道はどこも、小林麻央さんが亡くなった事を悼んでいる。

うん、よく頑張った。

心残りはあるだろうけど、闘病の間に覚悟もあっただろうからね。

 

ただ私は、彼女の闘病の中で選択を間違えたであろうところを、もっとブログに書いてほしかったなと思う。

それが、今後治療を選択する人達の参考になるだろうから。

どの治療が自分に最適かは体質にもよるけど、たくさんの経験談が誰かを助けると思うし。

 

麻央さんが亡くなって、しみじみ思うのは、彼女は海老蔵をまともな大人にする事が、この人生での大きな目的だったんじゃないかなと言うこと。

人には生まれてきた目的があるっていうから。

海老蔵(呼び捨てする。だって嫌いだから)だいぶまともになったもんね。

 

しかしひとつだけ不思議なのは、麻央さんの葬儀をどうやら神道で行うようだということ。

結婚式は仏式だったのに?

 

なんかどうでも良いが、信仰が一貫してないのは日本人らしいが、どうなの?

夏至

今日が一番、日が長い。

しかし今日は雨。

梅雨だもんね。

 

北の方に生まれたので、東京に来るまで6月は一番爽やかで良い季節だった。

今でも6月のイメージはそうなんだけど、関東にいると現実はジメジメなのだ。

でも東京は私にはそう悪くない。

 

 

今更「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観る。

ビョークが主演ですよくらいの知識で観たら、あまりに救いが無くてうわーってなってしまった。

こういう時の私の脳内で起きる事は、これは作り話。誰も死んでいない。

20代くらいまでは、これをやらないと何日も哀しい気分を引きずった。

 

処々にミュージカル風のダンスシーンが出て来るが、最後に死んだはずの主人公が踊り出すみたいな、カーテンコール的なものでほっとさせてくれうのかと思ったが、それも無かった。

ミュージカルシーンは主人公の空想という設定なので、彼女がこの世に居なくなったらそれももう無いわけなんだけど。

この映画で観るべきなのは移民の問題なのか、無知の問題なのか、貧困の問題なのか、それとも全部なのか良くわからなかった。

カトリーヌ・ドヌーヴは、相変わらず綺麗だった。

梅雨のはず

梅雨の真っ只中なはずだが、今日も晴れている。

 

肋骨折って家に居ることが多いのに、この暑い時期になってから向かいの集合住宅が壁の塗装かなんか始めてしまって、塗料の匂いやらタバコの匂いやら、それに常に足場のどこかに他人が居ると思うと窓もおちおち開けて居られない。

自分の部屋なのに居心地が悪い。

もう半月くらいはそんな状態。

こんなに壁の塗装って時間が掛かるものなのだろうか。

 

窓を開けて、部屋の片付けと掃除をサクッと終わらせたいのにそれも出来ず、なんか閉塞的な部屋にいると色々とやる気も出ない。

そうも言ってられないほど部屋があれてるんだけどね。

 

部屋の居心地といえば、階下の部屋に住んでいるカップルにいい加減うんざりしている。

男は夜からの仕事のようで、夕方から出掛けるようだ。

帰ってくるのは2時から4時辺りで、そこからひとしきり騒ぎ始める。

キャッキャキャッキャ、ドスドスバタバタ、ドアはバーン!

そして彼女への説教。

内容まではわからないが、明らかに一方的に男が女に何か言っている。

私は床に布団を敷いて寝ているので、階下の音が直接響く。

夜中に何度も起こされる。

それもそれでうんざりだが、こちらも昼間出掛けないで居ると、昼間も昼間で昼過ぎからまた騒がしくなる。

だいたいが女は出掛けないのか?と思うほど出掛ける気配がない。

階下の住人が引っ越してきた当初は女の声しか聞こえなかったが、それが朝早くから夜遅くまで電話しているらしい声だった。

女の部屋は数ヶ月カーテンすら無く、下着を外に何日も干しっぱなしにしたりと、常識的な女ではないのだろうと思っていた。

そうこうするうちに常に男が居るようになって、今の状況。

 

女が引っ越して来たのは確か一昨年の12月頃だったので、2年で出ていってくれることを願っている。

そうならないようなら、こちらが出るしかないかもなぁ。

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雨の一日

肋骨の話題は続く。

骨折した当初は、動かさない限りさほど痛く無かった。

痛いのは布団に入って寝る時。

これだけは泣くほど痛かった。

2週間くらいで楽になってきて、寝る時もそれほど痛くなくなった。

その後1週間くらいはまぁまぁ楽になったなぁと思っていたが、骨がなんかくっついてきたかもと思った辺りから、別の痛みがやってきた。

鈍痛と神経痛みたいな、ずーんと痛いのとピリピリ痛いのが。

それが、全然その後良くならない。

だんだん色々と具合も悪くなってきた。

開き直るしかないけどね。

 

昼間家に居たりすると、時々宗教の人が来る。

基本出ないが、荷物が来る予定みたいな時はついついインターフォンに出てしまう。

宗教の人は、興味が無いと断れば素直に引き下がるから良いけど。

この間も郵便受けに宗教の冊子が入っていた。

折角だからパラリと読むが、キリスト教を主体にした宗教のようだが、なんだか良くわからない。

宗教は、迷える子羊達を幸せにするに違いない。

組織化して金儲けに走らなければ特に問題はない。

だけど、宗教にすがる人は私は好きではないし、現実に関わるそういう人は面倒な人が多い。

キリスト教系の人は、悪いことをしても神は、その罪を全部背負ってくれる。みたいな考え方で、何かをしても神にしか謝らない。迷惑を掛けた人には謝らない。

仏教系の人は、来世来世で、仏教を信じる自分達を蔑ろにしたら、来世のあなたは不幸になるみたいな事を言いたがる。

大体に宗教が嫌いなのは、神も仏も罰を当てるみたいな事だ。

 

神とか仏とかみたいな超越した存在が、そんな事するのかと思う。

神社で、参道を歩く時も真ん中は神の通り道だから端を歩けだの、本当に神がいるならそんな細かいこと言わんと思う。

そんな事言ってたら、無知な人間は助けない、頭が悪くて理解出来ない人間は助けない、ってなってしまう。

神社を作って祀った人間が、自分達の都合の為に作った決まりでしかない。

神も仏もそんな存在があるのなら、もっと寛容であるはず。

そしてきっと、願いなんか叶えてくれない。

よりよく生きていけよと、少しだけ背中を押したりお尻を叩いたりをするくらいだと思う。

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パラレルワールド

現実逃避したくなると、ついネットで異世界とか過去に戻るとか検索してしまう。

嘘か真か、経験した人の話はたくさん出てくる。

過去に戻れるなら戻りたい人、ここでは無い別次元に行きたい人、いっぱいいるのよね。

過去に戻って同じ人生をやり直すなんて嫌だという人もいるが、私は今の記憶を持ちながらやり直せるならそうしたい。

パソコンに復元ポイントがあるように、人生の幾つかのターニングポイントに戻ってそこからやり直せたらと思う。

ネット上にある体験談では、大きな事故で死んだであろうと思った瞬間に過去のどこかに戻っていた、というパターンが多い。

 

少し前に肋骨を5本も折る事故にあったが、それは非常に地味な事故だった。

地味とは言え、運が悪ければ壮絶に死んでいたかも知れない。

カウントダウン的に時間が過ぎる中、あーこのまま死ぬのかもと少しは思った。

なんとか他人の手を借りて助かったが。

同じような怪我をするにも、車に撥ねられたとか救急車に乗るような事故であれば急死に一生を得た、私は生かされてるとか思うのかも知れないが、重傷の割に地味な事故だったので、自分で歩いて病院に行った上にその日は仕事までしていたので、そんなドラマチックな感じにもならない。

 

しかし暫く仕事も出来なくなって療養生活をしていると、あの時が死に時だったのだろうかと思ってみたりする。

そうしたら過去に戻って、今度は絶対失敗しない人生を送れたかもしれない。

あの時もあの時も、今度は失敗しない。

しかし自ら助けを求め、間一髪で助かってしまった。

 

肋骨骨折は、この歳ではそう簡単によくならず、恐らく長い間痛みは続きそうだ。

もしかしたら、一生ついて廻るかも知れない。

意外と重傷を負っても助かった、生かされたのだと前向きに思えれば良いが、今はどっちかっていうとあの時死んでおけばっていう気分だなぁ。

 

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梅雨入り

骨折は相変わらずで、こんなに長引くものなのかと暗澹たる気分。

 

働いていると余り気がつかない近所の事だが、最近怪我の所為で昼間近所を歩くことも多いので、いろいろ見えてくる事がある。

 

ある日ゴミ捨て場にプラスチックの衣装ケースが捨てられていた。

蓋が無くて使い途も無さそうだった。

粗大ごみとしてちゃんと捨てられているわけではなく、ゴミ置き場に置かれていた。

何日か経ってふとその衣装ケースを見ると、その衣装ケースの留め具の部分が、我が家の衣装ケースの壊れた留め具と一緒だった。

これはここだけ貰って行こうかなと思ったが、その時は荷物もあった上に近所の目もあって後で暗くなってからでも来ようと思った。

しかし、なんだかんだで2,3日経って行ってみたら、留め具だけキレイに無くなっていた。

同じように考える人がいたのだなと思い、ちょっとがっかりしながら帰った。

その数日後、またそこを通りかかったら、今度は衣装ケースごと無くなっていた。

そう言えば、その衣装ケースが出された後に、更に古い蓋なし衣装ケースも出されていたが、それもいつのまにか無くなっていた。

どちらも普通ゴミでは持っていってもらえない大きさ。

そして何日も掛けていつの間にかなくなった。

考えてみればそのゴミ置き場は、いつも何かしら粗大ごみみたいな物が出されるが、いつもいつの間にかなくなっている。

 

そしてまた別のゴミ置き場でも、比較的新し目のカラーボックスが捨てられていた。

当然粗大ゴミシールは貼って無い。

それはキレイめだったが、出された後に弱い雨が降った。

それが無ければちょっと貰って行こうかなと思ったが、次の日にはもう無かった。

 

今の区に越してきて3年だけれど、このあたりは単身用の集合住宅が多い。 

時々「ご自由にどうぞ」の不用品箱を外に出している方が少なくない。

私もやってみたが、意外と持っていってもらえる。

以前住んでいた区では「ご自由にどうぞ」を見かける事も殆ど無かったので、同じ都内でも地域によって違うなぁと思う。

お伽噺

小学校の1年生。

当時は2年毎にクラス替えというのが普通だったが、子どもがどんどん増えていた時代で教室が追いつかず、1年毎にクラス替えをして人数を調整したり学級を増やしたりしていた。

それでも小学1年と2年の時は、辛うじて同じクラスだった。

しかし教師は1年毎に変わった。

その小学校1,2年で同級生だった、お調子者でいがぐり頭の男の子がいた。

幼稚園も保育園も行かず初めての集団生活にボーっとしてた私に、なぜだかこのお調子者は近づいてきて、好き好き言われて一緒に帰ったりした。

しかし、どうして良いか分からず、何も話さずに歩いて帰ったように思う。

ちょっとクラスの子に誂われたりして、余計にどうしたら良いのかなぁと思ったりした。

そうこうするうちに3年でクラスが変わって、その子の事は忘れてしまった。

当時は子どもが多くて、クラスが変わると友達も変わるというのが普通だった。

転校も多く、人の入れ替わりも早かった。

いがぐり君がその後、同じ学校にいつまでいたのかも覚えていない。

でも、初恋といえば初恋だったので、彼の名前は忘れなかった。

ただ漢字がどうだったかまでは、はっきり想い出せない。

 

この間ネットでうろ覚えの漢字で検索してみたら、それらしい人がヒットした。

写真も出ていたけど、同じようにいがぐり頭のその人は、あの7歳の彼の面影があった。

本人かどうかは確定出来ないが、名前に入っている漢字もそういえばこの字だったかもと想い出した。

あの子だったらこういう職についているかも知れないなぁ、という仕事をしていた。

 

こんなのは恋愛の遍歴には入らないが、それでも自分を好きだと言ってくれた人の中で、彼が一番まともだったなぁとちょっと笑える。

今まで碌な男に好かれなかったと思って来たけど、そんな事なかったかもなとちょっと思えた。

 

子どもの頃の恋だけどね。